美術談叢 (抄譯)

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第五十二
明治42年7月3日

 今や凡ての畫風が益々革新され。新派新機軸を競ふの風あるは誠に結搆なることなれども。惜むらくは昔日の美しさと云ふこと乏しきやの觀あり。筆法と遠近と色彩、此三大要素には稍遣憾の點なきにあらず。又た新規を貴ぶの風よりして所謂道路山水と稱する市街驛路の風景の如き漸く之に筆を染むる畫家減少せんとする傾向あるは惜しむべし。奈良京都の如きヴエニスの如き。文學上にも美術上にも歴吏的價値ある名所は無論のこと。其他何處にても實景を筆に現はさば觀者の興味果して幾何ぞや。今日有名なる大家にして一向此方面に手を延ばさゞる者尠なからずと雖も。古のターナー。コンステーブル其他の諸名家は夙に道路山水に興味を有し路傍に畫架を立てゝ欣然として市街の風景を寫したるなり。今後益々此方面に研究を怠らざる畫家の多からんこと希望に堪へず。
 只習慣的に畫をかく畫家あり。必要により畫をかく畫家あり。面白くて畫をかく畫家もあれば金儲にかく畫家もあり。皆何れも畫に精神を缺けるなり。機械的に動くのみにて我感興あるにあらず。
 腕に於ては未だしき處あらんとも。畫に熱心にして我深き感興により畫をかく之れ眞の畫家なり
 。畫家たるべき資格には樣々あらん。されども自分で悟り自分の方法を以て之を筆に現はす。此の如き作品に世の鑑賞家より深き注意を受くべきや必せり。
 世間には技量は充分にありながら古人先輩の遺法に專ら從はんとする畫家尠からず。元より不可なしと雖も亦た中には獨立獨行して研究を怠らざる畫家あり。之れ誠に注意を値す。我熱心により發明せる處こそ眞に技術上有力なる進歩にして尚且つ同輩をも皷舞奨勵するの道ともなるべし。
 技量非凡にして着想亦群を抜ける畫家あり。併し此の如きは多く得難き上に往々眼界狹隘にして一方に偏し且つ奇に走るの嫌なきに非らず。先天的技能あらずとも練磨の功は天才畫家に一歩も譲らざるものあり。之れ大家と云ふべきものにして能く人世の機微を描出し他の及ぶ可からざるものあり。此の如き畫家にして甫めて美術の指導に任ずべし。
 如何に技量はあらんとも唯畫がかけるのみの畫家にては不可なり。想像力に乏しく又た活氣なきに於ては之れ缺點と云はざる可からず。目に見ゆる通りを畫くのみにて自然を凡て靜物の如く心得少しも發明する所なければ何の妙味もなきものなり。

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