太平洋畫會の水彩畫
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第五十二 P.3-9
明治42年7月3日
太平洋畫會第七回展覽會は、六月四日より上野公園竹の臺陳列館に於て開かれた。活氣縱横、同會あつて以來の盛會であるとは世間の評で、會の方でも、不行届の點の多きに拘はらず、出來るだけの力は盡したのであつた。可なり嚴重の鑑別を經て、出品せられしもの總數三百八十一點、そのうち油畫、パステル、彫塑及參考品の數點を除いて、水彩畫のみの出品は、實に百六十二點を数へる。白馬會にその人乏しく、トモヱ會輕浮の氣滿てる時、水彩畫に於ては、この會に覇を争ふものはあるまい。いま、例によつて、其うちの重なる作者と其作品につき所感を述べて見やう。
瀧澤靜雄氏
日本水彩畫會研究所の學生にして、有望を以て目せらるゝ氏の出品は四點ある。氏の繪にはグレーとブルーを帯びた一種水つぽい色があつて、冷々しい感じがする。觀察力よりも想像力の強いためか、形に於て不正確な點が多いが、物の感じは可なりよく出てゐる。二六七『かヘり路』は搆圖がわるい、線の關係など甚だ無頓着である、中央方形の田も無意味である、併し、四點のうちではこれが一番よい樣であつた。
藤島英輔氏
出品九點、三二九『窪澤の秋』、三二五『虎の門内』は、氏の出品中の白眉で、前者の如きは場中を通じて傑作のうちに加へてよからう。『窪澤の秋』、それは杉の森、遠山、だゝそれだけであるが、シツトリと落ついた色彩で、重みがあり、秋の感じも充分で、批難する處のない繪である。此圖、その大いさは半紙半分ほど、これによつて見ても、大作は必ずしも畫幅の大小によらぬ事が分るであらう。若し、氏にして、四ッ切大、半切大、若くは全紙に、これと同じ調子に製作が出來るなら、水彩畫界に一頭地を抜くことであらう。三二三『川越』、三三〇『おせんころがし』はよく、其他の諸作は甚しく見劣がする、これを見ても、氏の本領は重厚なる畫に適するのであらう。
鈴木錠吉氏
水彩畫會研究所に於ける、多作家、勉強家なる氏は、こゝに僅に二點を出せしのみ、三二六『朝』は半切の大作、搆圖もよく、筆跡もキレイで厭味のない繪である。たゞ、氏に、平素より飽足らず思はるゝことは、色の強いことで、それが爲めにこの圖も深味のないものとなつた、強い色といふことゝ、強い調子といふことゝは違ふ。色が強いのは繪が硬くなる、調子の強いのは繪が重くなる、氏の如きは有望の未來を有する人、己れを屈して忠實に自然に學んだなら、向上進歩疑なしである。
八木定裕氏
氏も日本水彩畫會研究所の人、六點の出品中三〇一『大師道』は佳作である、中央より右を暗くし、明るき家と道路を見せたる搆圖は、この繪をして人の注意を惹かしむる原因であらう、遠近の關係も自然で、暗い處に深い意味も含まれて居る。三〇二『樫』は、徒らに畫面の大なるのみにして、上半と下半と筆致も勢も一致してゐない、恐らく中途で厭になつたのを、展覽會のため強て仕上げたのではあるまいか。
夏目七策氏
瀧澤、鈴水、八木、赤城、松山、水野等、水彩畫會の人々の多くが風景畫に傾ける中に、獨り夏目氏は、靜物及風俗畫に興味を有し、常に此方面に筆を執られつゝあるは、人物を畫く人少なき、水彩畫界にとりて多とすべきである。氏の作三點、二八七『お稽古』は半切の縱畫で、三味を手にせる少女、それに對して背面を見せたる老母、背景は欄干を越して牛込あたりの人家の見える圖である。水彩畫にて人物を描くことの既に至難なるに、若き人と老たる人との組合せ、更に逆光線の、日の光りの少女を背より照せるなど、殊更に困難な試みをやつたのではあるまいかと思はるゝ程複雜なものである。表情も可なり出てゐる、あまりに描き過ぎて活踴の趣を缺けることや、三味線及び欄干の直線に見えぬことや、些細の缺點は、その勞力に對して特更に咎め立するのは氣の毒のやうに思はれる。二八六『靜物』は、色が如何にも赤く、夕日でも射した時に寫したのかと思つたら、夜間燈下の寫生であるそうな、畫題に『夜』とても斷り書をして置けばよいに。
寺田英俊氏
三三五『庭園の碑』は、一寸人の目を惹く繪である。戸外とすると大ぶ批難もあるが、少女の顔に何となくよい處がある、背景を親切に畫いたなら一層よかつたらう。
鶴田五郎氏
早春の枯木林、ワツトマン全紙の横物、これを二八一『櫟林』となす。明るき空に暗き幹の行列、落葉と若草、徒らに畫面の大なるのみにして、繪に中心なく深味なく、且色も貧弱なり、かゝる大畫を試みられた意氣は大に賞すべく、また其態度も眞面目であるやうに考へらるゝが、藤島氏の『窪澤の秋』の例に於けるが如く、大畫必ずしも大作にあらず、私は、作家の努力を今少し集中して、小品にても佳作を出されんことを望む。
相田寅彦氏
三三六『編物』、筆に躊躇の跡なく、素直に出來てゐる。膝のあたりの形が少し崩れてゐるやうだが、さして目に立つ程でもない。三三七『靜流』は、季節のためでもあるか、何となく寝ボケてゐて物質が見えない、活きた色がない、氏は水彩畫會研究所の才筆家、一憤發あつて欲しい。
大橋正堯氏
忌憚なく言へば、二二八『迎秋門』は、色が單調で快よい印象に受けなかつた。これに反して二二七『野山』は、苦心の寫生だけあつて、よく冬の野山の感じが出てゐる、たゞ現揚の感じを正直に寫し出したといふ點に於て異議はないが、若し此上に、草原がモツト明るく出でたら、此繪の價値を一暦高めたことであらうと思はれる。二三一の『秋』は面白く、他の韓國に於ける二點の寫生は珍らしく拜見した。
中林僊氏
久しき以前、私が京都に遊んだ時、若王子に伊藤氏を訪ふや、いつも歸りは夜るになつた。その時、提灯に道を照らして、二條の假寓迄私を送つてくれたのは、當時伊藤氏に客たりし中林其人であつた。途すがら話は繪の事ばかり、宿へ歸つても、氏に私の狹き室に入つて、時の更るのをも知らで何角と語り合つたが、氏は其頃から水彩畫に多くの趣味を持たれたらしい。三十六年の夏、外國の旅から歸つて、神戸に船を捨て、大阪に博覽會を見た時、美術館内洋畫の部に、たゞ一點の水彩畫を見出して、珍らしと其作者を調べたら、それは實に中林氏の筆であつた。爾來、關西美術院に、太平洋畫會に、研究を重ねられし結果は、今回の展覽會に示されてある。出品三點、二九〇『駒ヶ岳』は、太平洋畫會研究所のコンクールに賞を得しものとか、高山の絶頂の趣はよく寫せてゐる、描寫の不足、觀察の不充分と思はるゝ點のないでもないが、かゝる山頂に在つてゆるゆると寫生の出來るものではない、完きを望むは無理であらう、この上、今一層森嚴の感じが出たらよかつたらう。二九八『高山』は、畫面の大なるに比して引締らぬ畫で、スケツチとして見るも力が足りない、色には空氣がなく、自然の心持が出てゐない。二九一『房州海岸』は骨のあるよい作である。
西松亮三氏
二一六『朝ぐもり』、眞に自然に對して同情あり、同感あつて畫いたものとは思はれぬ、其筆遣ひや、物の現はし方の如きも、自然を寫すべき方法として、かくあつたらよからんとの研究的態度から出たのでなくて、こんな風のやり方で寫生して見やうと、自分から極めてかゝつた趣きが見える、多望なる未來ある氏の如きは、專心研究的にやつて欲しい。
水野以文氏
出品五點、氏も水彩畫會では多作家の方である。三四五『干潮の城邊海岸』に、骨の折れた繪ではあるが前景が弱い。三四八『春の日』は、感じがよい、筆の働きも見える。三四九『建築』は親切な描寫で、取材も新しい、他の小品二點、色が貧弱で形が徒らにウルサイ。
丸山晩霞氏
昨秋以來、氏の境遇は、氏の精力を傾むくるに足る製作の時間を與へなかつた。然るにも拘はらず、こゝに四點の大作を見たのは望外の幸である、幸ではあるが、今年の氏の出品畫には敬服すべきものゝ少なきは遺憾である。氏の平生を熟知せる私は、爰に評言を述ぶるに忍びぬ、たゞ三〇六『崖の上から』、三〇七『初夏』の二點は、其廣き河原にゆるく流るゝ水の趣きに多大の興味を覺え、其デザイン風の描法に新しき味ひを感じたことを、特筆して置く。
倉田白羊氏
二九六の『旅舎』は、あゝした處のスケツチとして面白いが、屋根の線の規則的なのや、色の貧しいのが氣になる。二九七『ヱチユード』は、洒落たもの、情昧の饒かな畫であつた。
河合新藏氏
七點の出品中、誰れも目につくのは『藪』である。二二三、二二四何れもよい、葉の描寫に少しく物足らぬ點もあるが、強くして趣ある幹の直線、明るくして透明なる綠の色、たゞそれ丈けでもよいのに、加へて、氏の簡潔なる筆致を以てすといふ譯で、觀者に永く印象を殘す繪である。これに次いて私の好もしく思つたのは、二四七『雪の午後』であつた。
石井柏亭氏
二〇二『野崎道』は私の嫌いな搆圖、それが先入主にでもなつたのか、他の諸作ほどに注意を惹かなかつた、粗い筆が何處も一樣で、少しオチツキが足りないやうに思はれた。一番氣に入つたのは二〇七『晩春』で、無造作に寫せてゐながら、如何にも晩春の空氣が野道に滿ちてゐる。二〇一『道頓堀』は、水彩畫中數多からぬ人物畫の一つで、欄によれる藝子を寫せしもの、モデル臭味のないよい畫である、絹の着物の描寫は、氏にとりて何でもない事であらうが、物質がよく見えてゐる。
磯部忠一氏
藤島氏に似て色に重味があり、そして稍や筆の粗い描方で、厭味がない、今度の出品三點のうちでは、二〇九『靜澗』がよい、よく筆に上る牛も居る、暗い森、靜かな水、何となく凉しげなよい心地の繪である。二一〇『百日紅』は、繪が如何にも硬い。
赤城泰舒氏
日本水彩畫會の研究所で、將來大なる望を囑せらるゝ人に十指を屈するに足る、而して、氏もそのうちの有力なる一人である。今回の出品中で、三三九『あらしの後』は、『みづゑ』五月號に出たるもの、調子の強い簡潔な繪である。三四〇『早春』は半切大のもの、畫の大なる割によく注意も届いてゐる、一見ジミな畫風であるが、仔細に見ると中々器用な仕事がしてある、此器用ほあまり出さぬ方がよからうと思ふ、空を半ば掩へる黒い雲は邪魔になろ、街道の並木はよく描かれてゐる。三三八『しらかんば』は、去年尾瀬沼の畔で寫生したもの、極々短時間の製作であるから、是でよいといふのではないが、この木の性質はよく出てゐるし、空と草原との調和もよい、佳作とすべきである。
木村梁一氏
外遊中の製作二點、一を三四二『塔の橋』と云ひ、他を三四三『ヴエニスの夏』といふ。何れも強い色強い調子、少しく細かい處はあるが、色の心地よき配置のためか、見て爽快を覺える。
鈴木一治氏
氏の曾て水彩畫會研究所にあるや、其輕快なる筆致、含蓄ありてしかも清素なる色彩は、氏の繪を見るものをして一種の快感を覺えさしめたのであつた、而して手に教鞭を握れる今日の作は、筆は重く色は濁りて、昔日の觀跡を止めざるに至つた。私はこゝに直言を敢てするに、實に氏の才能を惜むからである。願くは自省自重、再び眞面目に研究を積まれんことを望む。
高橋文藏氏
大阪に奈良に、講習會の開かるゝ毎に、來つて勉強せられ、傍ら會務を助けられしは、當時松原先生門下にありし高橋氏其人であつた。今や太平洋畫會研究所に學び、今回其製作二點を出品してゐる。二七一『靜物』は、配置もよく色もよい、物の描きコナシもウルサクなく、靜物畫として上乗の部に屬すべきものであるが、たゞ書物と床の布地の色と殆と同一なるは如何のものにや。靜物畫のしかく上出來なるにも似ず、二七二『風景』は別人の筆の如く劣りて見られる、自然と首引に一生懸命にやつた跡はなく、よい加減の仕事がしてある。何も自然と首引をして描いた畫が、必ずよいといふ意味てはないが、修養中の人に、飽迄も自然に忠實であつて欲しいやうに思ふ、自然に不親切な繪は、决して人に感動を與ふるものではない。
吉田フジヲ女史
二六二『植物園の池』は、婦人にふさはしき畫材でもあり、また女史特有の領地でもあらう、初夏の心持もよく寫し出されてよい。二六一『イジブト土産』は、骨の折れた作と拜見した。 吉田博氏
比較的圭角の多い人物として、他から見られてゐる吉田氏は、其作品に於て正反對で、圓熟したものゝ少なからぬは異とすべきである。吉田氏を知る人は、氏の性情よりして、高山深谷などを主題とした繪が多からうと思はるゝに、其作には、月夜、春雨などがある。今度の出品の中では、二五二『春雨』がよく、二五七『滿月』がよい、二六〇『十月の朝』は少しくウルサク思はれた。
織田一麿氏
氏の畫風に堅實の風を帯びて來た、此上一段碎けたらよいものが見られやう、今の處では如何にも硬く、其色も強い、あるものはあまりに透明で、美しい感情を味ふ餘地がない、其色には新しい處があると同時に、調和されてゐない點もある、要するに氏は、いま程に上つた第一歩で、今後の努力は嘸かし目覚しきものを作り上られることであらう。
望月省三氏
三五八『一望』は、親切なよい畫である、色彩に浮華な點が少しもない。三三五『雨後の小利根』、三五七『戸山の原』の如きスケツチもよくコナセては居るが、こんなもので安心しては困る。
並木富太郎氏
筆に大きな處があつてよい、二八四『夕』にまだ三日位通つて畫く餘地があるやうに思はれる。
榎本滋氏
三三二『寺』、色の配置がよく、描方もよい、此上物質がモー少しよく表現されたなら申分がない。
松山忠三氏
氏の特色は其スケツチ的な點にあらう。小品のスケツチには折々面白いものが出來る、毎日々々根氣よく一月も一ツ場處に通つて仕上げてゆくといふ樣な事は、恐らく氏の得意とする處ではあるまい。今度の出品では三一〇『朝』が氣に入つた、三〇七『工場の裏』は、見つけ處が面白い、またかゝる場處を畫くべく、氏のキタナイ畫風が適してゐる。三一五『椰子』は淺薄である。三一一『秋』は、秋の濕つぽい感じは出てゐるが、手際が如何にもワルイ。他にスケツチ三點、何れもお得意のものである。
寺田季一氏
小品二點、何れも氏の才氣が盗れてゐる。成るべく才氣を出すことなく、忠實に自然に接し、自然より教はるやうに勉強してゆかれたい。
上記の五氏は、何れも水彩畫會研究所の人で、此他に、石井芳雄、石塚翰、沼田喜雨太郎、大里福藏、河野紫郎、秋山貞次郎諸氏の出品もあるが、それ等の評はお預りとする。
平木政次氏
氏は古くよりの水彩畫家である、一時は展覽會毎に澤山の製作を示されたが、今度は四點の出品がある、其品題は、松島附近にして、所謂好風景の地、又は名所と稱せらるゝ處、何處でも、目に觸れた自然のある一部に感興を催ふし、それを畫いて畫にするといふやうな事は氏には望めない、今日の高い鑑識の上から見て、淺薄とか綺麗とかいふ評を下すのは酷で、十年、否五年前迄はあれでよかつたのである。出品の中では、三五一『松島の景』が一番よいやうに思つた。
岡均平氏
三點の靜物畫中、一番よく畫けてゐるのば三六九『水仙』てあらう。氏の畫には潤ひがある、位置の取り方も惡くはない、この上は、各自の物質が今少し明らかに現はして欲しい。
以上のほか、長谷川曾一氏の二一四『早春の野邊』は、何が主眼で畫いたのか、組立の上に批難がある。星野光の助の二一七『生活』は、人物の形が崩れてゐる。中央の藁屋根の、只一つ明るいのも變だ。萩生田文太郎氏の二一五『庭の隅』は、平板でそして何等の餘情がない。竹内久子嬢の靜物三點、そのうち二六九『馬具』は、色も澁く、一體に描寫が親切であるから、見た心持がよい。松原一風氏の作のうちでは、三一八『初夏の暮』が傑出してゐる、道路をモ少し器用に畫いて欲しかつた。此他、河上涼花、川村信雄、福原馬三郎、三上知治、氏原作次郎、中村元吉、宇野辰吉等數氏の出品があつた。
概觀するに、年々水彩畫の進歩は著しいもので、特に朝に夕に、筆を執つて居らるゝ、青年諸君の進歩の速なるは、驚嘆すべき事實である。若し此勢にして挫折することなく進みゆくならば、軈ては、世界に於ける水彩畫國なる、英吉利を凌くことも、决して難くはあるまいと思ふ。茲に吾等の水彩畫の進歩向上を祝し、萬歳を唱へて評論の筆を擱く。