小天地
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第五十二
明治42年7月3日
小天地
汀鴎
b: いちご晝食後の小閑を、庭下駄突かけて畑に下りたつ、數百株の苺の苗には、おのおのいくつかの紅き實をつけたり。茂れる葉をかき分くるに、忽ち鼻を撲つは、初夏ならではふさはしからぬその高き香なり。
花さき實の色づく時こそ、俄かに雜草も刈り藁をも敷け、日ごろは見向もせでうち捨ておくものから、實の形も整はず、その數も多からねど、まれには牡丹の蕾ほどの大なるものもありて、一つ一つ指もて摘みとる紅ゐの珠は、いつか籠に滿ちて溢れんとすなり。
われはこの甘酸き夏の新しき香を嗅ぐ時、莖をさぐりて其實をつみ籠に入るゝ時、いつも身の幸福の淺からぬを感ずこと切なり。(五月二十日)
庭の花
前月の末迄わが庭を飾つてゐた木蓮、乙女椿、霧島、桃、杏、李、菜の花、紫雲英、さくら草、わすれな草、庭梅、すみれ、くさいちご、たんぼ、きんぽうげ、ワイルドポヒー、紫のそら豆の花、さぎ草、おだまきなど、それ等の美しい花の多くは跡方もなくなりて、今は若葉青葉のいや繁りに茂る中に、一團の紅を彩る杜鵑花、下くさにまぢりてあかき花かたばみ、朱のいろことに鮮かなる石榴の花、姿なほやかなる紫露艸など、指おり数へるまでもなく、庭の面はいと淋しうなりぬ、月見草の蕾の、このごろいたくふくらみたる、やがては宵々ごとの樂しみをますべきか。(五月二十二日)
きゞす
朝な朝な關口の流れの音にまぢりて、二聲三こえ雉子の啼音をきく、窃かに庭に下りたち見れば、露ふかき畑のあたりを、餌をあさりて俳徊する氣高き姿見ゆ。關口より高田へかけて十數町、川に沿ふてもの古りたる樹の深き林をなせば、山鳥も居らん、雉子も栖まん、さはれこれ迄曾てさることのあらねば、或は人の取逃したるにもや。(六月一日)
螢
「アラそつちヘゆきましたよ」「あの木の下よ」「あそこにも一つ飛んでいてよ」、珍らしと兒たちのさはぐに、窓おしあけ見れば、それらしきものも見えで、宵闇の暗き中を、江戸川に沿ふてながく二條の電燈きらめき、晴れたる空に滿てる星の光あざやかなり。「ちよいと上をごらん、あんなに澤山ほたるが居ますよ」。(六月六日)
月見草
一つ、三つ、十一、宵々毎にその數をましてゆくこの花は、レモンヱローライトを塗りても其涼しげなる感じは出でまじ。軟風膚に快よき夕、この花のほとりに立ちて、その蕾の徐々に開くを見る、この瞬間、身に神の國のものなり。(六月十日)