寄書 吾が鎌倉に來れ

堀谷紫海生
『みづゑ』第五十二
明治42年7月3日

 山と水との美を兼ね有する寫生の好適地たる鎌倉は、古刹寺院多く、小川もあつて、遠望にも富んでゐる所である、長谷の大佛、觀音附近にも描かうと思ふ所が多く、友人が來る度毎には必ず一度は筆をスケツチブツクに止めるのである、常に野原に海岸に寫生する者ありて、非常に余の心を動かさしむるのである、其外描くべき材料が多い、中にも鶴ヶ岡八幡宮は、昔の有樣を其儘に、何となく壮嚴を極め、金殿朱閣老松の間に、隠れ見えて實に畫を見る樣な思ひがする、南は相模灘に面し、江の島は眼前に横はつて、由井ヶ濱の波濤蒼翠また掬すべきである、稻村ケ崎右に突き出て眞帆片帆往來して、朝夕の眺めは別である、青松の間に漁家の點綴し、遠くは伊豆連山三浦半島を望み、一として畫に成ら無い處は無い、今度の講習會はかゝる地に開かるゝである、約二週日、その間の畫的生活は有益有趣味、大に愉快であらうと思はれる、各地の諸兄よ振つて鎌倉へと集つて來給へ、余等は双手を擧げて諸君を歡迎するであらう至囑至々。

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