谿谷の水

小島烏水コジマウスイ(1873-1948) 作者一覧へ

小島烏水
『みづゑ』第五十三
明治42年8月3日

 前號所載、大下氏の『穗高山の麓』は、自分の曾遊の地だけあつて、人一倍の面白味を感じた、同山麓上高地の峡流から思ひついて、少しく谿谷の水に就いて、話して見やう。
 谿谷は、河流の上部で、水が卑きに就いて、流れて行く間の筋道を言ふのであることは、説明するまでも無いが、谿谷を正しく觀察するには、單に水が土地を浸蝕して、谷地を作るといふだけに止まらず、水それ自身が谿谷自然の地勢に從つて、支配されるものであるから、谿谷の地質構造を知つて置かなければならない、水は岩層の走向(Strike)や、斷層線(Fauet)のやうな、土地自然の外貌に沿うて、流れることが、一般の定則で、それが平原地、則ち川の下流となれば、堅硬な岩石が無いから、玻璃板面に水を流すやうに、直線の針路を取つて、走るかといふに、必ずさうとは限らない、否、さうで無い方が多いのは、如何なる平々坦々の★野でも、多少の凹凸がある、隨つて軟かいさういふところですら水は凸處に衝突し、凹所に停滞し、彎曲を作る程であるから上流即ち谿谷地域は、猶更水の方向を轉換させるのに與かつて力ある岩石の、觀察に重きを置かねばならぬ、尤も河水自身が、淤泥砂礫を運搬して、彎曲の地點に來ると、速力の強い外側を避け、速力の弱い内側に堆積し、又その沈澱物のために、水自身が二分し、三叉し、四枝にも五枝にも岐れて、又一つに合ふかと思ふと、直に離れたりすることもある(第七回太平洋畫會の丸山晩霞氏作『崖の上から』に、この種の河流が、模樣的の新意を以て、巧に描かれてあつた)
 併し、そのやうな現象は、川の中流以下に多く、上流即ち谿谷の發生地、又は起點地には、先づ著るしく起らないことであつて、谿谷は地勢と、その谷地を作る岩石とに、注意を拂はないで描寫すると、水までが動もすれば、類性になつて、特性を示現することが出來ない虞れがある。
 何故といふに、峡谷の水の姿態は、一時も停滞してゐない、湖沼のやうに沈思黙考してゐないで、叫喚奔放するところに、その生命がある、奔放するのは、即ち傾斜のためで、谿谷の水の姿態美を觀察するには、河道傾斜の度、及び河道屈曲の度如何といふ問題になる、傾斜が強いほど激流であるが、河道が彎曲するほど、水は屈折幾回するために、速力を殺がれることになる、勿論水の分量如何も、重大なる關係を有するが、それは發源地なる山嶽の高低大小を見なければならぬ、秩父のやうな僅に丘陵以上の山嶽からは、荒川ぐらゐが出るに過ぎないが、日本アルプスのやうな、一萬尺以上の高山峻岳の簇がるところからに、木曾川、阿倍川、大井川宮士川、天龍川のやうな、急川が、龍頭を並べて奔下する、加賀に九頭竜川といふ急瀬があるが、コレなどは谿水の姿態を、描破した好名稱だと思ふ。私一人の見聞から言つて、日本第一の激流は、天龍川であらうと思ふその理由は、河道の傾斜が峻急で屈折が甚だ稀で、水が至つて多量で、且つ兩岸河底が、花崗石や片麻岩のやうな滑らかな岩石で組み立てられてゐるからである。
 峡水の姿態は、單に河道の傾斜や、屈曲やの如何ばかりでなく、峡底の岩石に因ることが多い、岩石が水を揺かす、水が岩石を噛む、この間に湖沼などで見られない變化が出來て、水の色彩も、白粒碧玉入り亂るところに、無限の變化を起す、一沫の泡の中に、無數の水の球粒が、いかに日の白光を透過し、又反射するかは、湖沼に見られないところがある。小林鐘吉氏の秩父寫生紀行多摩川の條に『岩は直ぐ眼の前に大きいのが二つ、色は印度藍と朱の混つたやうな、暗い色で、中にライトレツドのやうな斑も交つてゐる、水の色は深く澄んで濃い透明色の緑は、渦を巻いて、岩をめぐり、瀬に泡立つて、赤色、黄土色、コバルトの色々が、岩の影の中に、紐の流をなして動いて行くので、描くにも一寸手のつけ樣が無い』と嘆ぜられたが、この岩、水、泡、影の如き、水の表面現象の外に、水底の岩石が、又どのくらゐ裏面現象を作つてゐるか解らぬ、色彩に於ても、又姿態に於ても。およそ水の色彩は、天空の色、周園の森林の色、兩岸の色等によつて、影響するところが、頗る多いが、水底の岩石も、又重大な關係があらう、谿谷は、海や湖水のやうに、深くないから、水と底の交渉が、最も人目に顯著に見える、光線の一部が、水面から射かへされ、一部が水底に透過して、天空と、岩と、水との三位一體的紫色――所謂山紫水明の紫がかつた藍色を調へるところなどは、谿谷の水以外には、到底見られないのである、况して水の絶えざる動揺から生ずる色調の斷絶、又は繋續によつて不朽なる飛白や、縞を織り出すところは、水の美麗をきはめたものである。
 それでは瀑布に比較しては、どうかといふと、瀑布は谿流を垂直的に、立てたやうなものであるが、水の姿態は、マルで違つて來る、垂直では流水が急速に過ぎて、却つて動揺してゐるのか、靜止してゐるのか、區別が著かない程になるが、谿流では、水の速力が、川底では岩石と摩擦して減削され、兩岸に近接する水も、凸地の抵抗のために微弱になり、上下兩層間の水が、迅いといつた風に、行動が多角的になつてゐる、その上に屈折彎曲の筋道から、水流が兩岸に當つて反射すると、その反射角の間にある水が、比較的に靜止するといつたやうな變化があるが、極端に動く瀑布や、極端に靜止する湖沼には、かういふ微妙な、緩急の變化が無い。
 と言つても、凡べての水の中で、谿流のみが獨り最も美なりと、いふわけではない、以上は湖海瀑布で見られない渓流の、特徴を擧げたゞけで、一方に於て谿流に見られない特徴が、他の各自に存するのである。
 私の經驗によると、多くの谷川の中でも、花崗岩地の峡谷の水が、最も澄徹で、透明で、純粹で、美麗であるやうに思ふ、古來、谷川の風景を代表してゐうかのやうに思はれてゐる木曾路、即ち木曾川の峡水は、花崗岩と同性質の、石英斑岩を穿鑿して流れてゐる、木曾御嶽は、立派な大火山であるが、それもこの斑岩の地盤の上に噴出したので、山麓王瀧川の鞍馬橋は、甲州猿橋形の奇橋であるが、兩崖の絶壁は、石英斑岩から成つてゐるから、水の透徹明麗は、同じ川の常盤橋の水と共に、天下の谷川に絶してゐる、併しながら、これらの有らゆる水の美を束ねても、穗高山下の上高地峡谷には及ばなからうと思ふ、多年繪畫の上から、色覺に鋭敏な眼を以て、水を相して居られる大下氏に質しても、この地の水ほど、美くしい水は、同氏も未だ他で見たことが無いと言はれたので、私も安心して信じてゐる。
 それなら何故、花崗岩の渓水が、最も美くしいかといふと、先づ花崗岩の解剖上からの話をしなければならぬ、花崗岩にはPlutonic Rockといふ、成生状態から命じた地學上の名があるPlutoは冥府といふ意義で、花崗岩は「冥府の石」と言はれる位、地下の深底に潜んで、火で燃やされた溶液を作つてゐたのが、やがてその上の水成岩層を突破して、今のやうに凝結して地表に出て來たのである、前に述べた石英斑岩なども、同じくそれに隨伴して出て來たので、そのため花崗岩に「冥府の石」といふ趣味ある名を與へられたのである、日本の地學者は、之を意譯して「深造岩」と稱してゐるが、私のやうに、未だに古いローマンチツクの頭を有つてゐるものには、ヤハリ原語通り「冥府の石の方がありがたい、ともかくも深造の石は深谷の水を湛へるのに、先づ適した豫約を有して、地球の表面に出たのである。
 以上花崗岩の地表に出るまでの筋道は、畫家には何の必要もないが、出てから後の研究は、忽せにしてはならない――この石は山岳地では日本アルプス、平原地では畿内からかけて、中國の景色には、大なる關係があるからである、併しこゝでは峡谷だけに就いて話す。
 花崗岩は、他の火山岩や水成岩などと違つて、最も本邦では建築用材として、到るところに需要されてゐるから、何も筑波山や、木曾川まで行かずとも、石質たけを知るには、市街人家――石棺、墓碑、華表、石燈籠等に就いて、研究すれば解る、完全したものは家屋の敷石などで、又分解したものが見たければ古い墳墓、華表、燈籠などの中で、蘇苔の★爛から、石の敗蝕を促して、主成分の分離解剖されたものが多いから、一層便利である。花崗岩の主成分としては、石英と、長石と、雲母とであつて、其一を缺いては成り立たない、これらの結晶鑛物は、肉眼で分明に見えるから、注意して欲しい。
 石英は透明に結晶して、普通は白い、雲母は黒色で、光澤の強いのが、普通である、長石は肉色を呈してゐる、石英は、玻璃の原料になり、長石は陶土磁土になるものであり、雲母は、分解して蛭石になるものであるから、先づ通俗に話すと、清い陶磁器の中に、玻璃を布き、蛭石を置いて、その上に氷から融けたばかりの水を流す、と思へば、花崗岩地の峡流を縮寫した概念を得て、その水が如何に晶明透徹をきはめてゐるかが、解るであらう、個々の特色をいふと、石英は粒状に密簇した塊になり、結晶の状態と色とによつて、黄水晶、紫水晶、碧王、黒水晶となる。雲母は鱗状に塊まつてゐるが、容易に薄片に剥離することが出來て、玻璃光、脂光を放つてゐる、普通は黒いが、稀には白雲母といつて、白色で眞珠光を放つものがある。長石は肉紅色が最も美くしく、その新鮮なものは、眞珠光を有してゐるが、久しく外氣に晒されると、曇つて光澤を消失してしまふ、併し石英と雲母は、如何に暴露されても、光澤を失ふやうなことはない、前に花崗岩と同質といつた、石英斑岩といふのは石英と長石の斑晶を含み、玻璃質を有してゐる。
 穗高山麓の上河内に就いて言ふと、穗高山は花崗岩で、槍ヶ岳は石英斑岩から成つてゐる、それらの斷片碎片が、上高地といふ海抜五千七百尺許の高原に堆積して、それが分解して、白澤を作つてゐるので、上河内峡流の水は、日本無雙の大アルプスの殘雪が、融解し、殆んど純粋に近い藍色を呈して、この花崗岩の分解した谷地の上を流れるのである、その水の透明、澄徹、純粹、濃藍は、彼のラスキン先生が自傳『プレテリタ』に描寫した、アルプスの氷河から溶け落ちるといふローン河の晶明な水にも、おそらく劣つてはゐなからうと思はれる。
 それで花崗岩が、峡流の水を美くしくさせる原因を擧げると(一)岩石の中で、最も耐久質で、濕冷の氣候に耐へ得られるから、他の凝灰岩流の火山岩などが、直きに水分を吸収し、冬季にはこの水分が結氷して、岩石の組織を解弛し、暑氣には炎熱が透徹して、これ又石を乾燥分解する基となるに比べて、全く堅牢なる大磐石なること、隨つて木曾川の寝覺の床天龍川の天龍峡などの、奇景が出來ること(二)同じ花崗岩でも、粗粒なもの(俗に鬼花崗といふ)と細粒のものとある、耐久堅牢の質は、粗粒の方が、細粒の方に及ばないが、一旦分解して谷川の風色を作るとなると、他の石礫に比べて、細粒緻密、地下又は山側の強固な花崗岩は、縱横に龜裂を生じて、櫓を河床に築き上げるが、猶多く水の浸蝕を受けたものは、凹凸の少ない楕圓形に磨削され、更に分解したものは水晶や、陶磁器や、玻璃を粉末にして布いたやうな細沙となり、全體に肌理が細やかで、滑澤がある、さうして寒色で、火山岩に見るやうな暖色でないから、氷冷の水とは、色彩と觸覺とに於て、調和してゐる(三)かやうに花崗岩は、堅硬緻密の石であるが、それでも久しく外氣に觸れて、太氣の作用を受けると、結局土砂となつて、崩壊する、故に他の岩石から成る岐谷は、上流に行くほど、巨大の岩石が挺立して、水を狹くしてゐるが、穗高山麓の上高地は、反對に下流にでも見るやうに、平沙坦々の白砂原となり、水は聲を呑んで、おもて悠々と、裏は峻しく流れてゐる、水底の岩石で、突兀してゐるものは、徳本峠や蝶ヶ岳邊の、水成岩が多く、穗高山槍ヶ岳邊の花崗岩は、比較的少ないのは、分解するからである、この分解の特性があるために、花崗岩の山岳は、駒ヶ岳、金峰山、地藏岳、鳳凰山のやうな、海抜一万尺から七八千尺を下らない大山岳の絶頂が、白皚々として雪の如く、海濱の白砂の如き特色を呈し、峡流では上高地のやうな、白砂、翠木、水清淺の絶景を作るに至つたのである。
 私は或銀行に執務してゐる、私の机の前には、金綱の窓口があつて、その臺は、筑波山から搬んで來た花崗岩の大板である、この山に産する花崗石の特質として、一體に粗粒で、長石は肉色で、温潤玉の如き輝きがある平滑な截面に、私の腕襟が觸れるたびに、私はかの日本アルプスの奥で、白光を放つてゐる花崗岩山と、その石を洗ふ晶明の峡水とを、憶ひ出さずにはゐられない、偶ま前號に、畫趣滴る如き大下氏の文章を讀み、堪まらなくなつて、本文を艸した。

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