夏の旅

凌霄花
『みづゑ』第五十三
明治42年8月3日

夏の旅
  凌霄花
  b:○
 重き荷物に腕を痛くして新宿停車場へかけつけ、待つこと十分間赤羽よりの汽車に乗つて品川着、東海道行へ乗換へ、漸く目的地なる原驛に着きしは正午過にて候。車窓より白隠和尚の墓といふ大々的建札を見し故、道に迷ふこともなくて松蔭寺へたづね參り候處、折柄本堂修繕中にて室なく、隣りの寺を問合せしも主僧不在にて要領を得ず、此町の宿屋と申ては停車場前に只一軒あるのみ、家こそやゝ新しけれ、其二階の手褶に并べる蒲團の穢なさには我慢がむづかしく、それに豫て目的に致居候植松氏の庭園は、立派には相違なけれど規模せまく、案内の園丁は煙草錢でも欲しそうな顔つきして後からついて來ると申次第にて、落着いて繪の出來そうな目あてもなく、近處の風景も存外平凡にて、かたがた來ると同時に直ぐ厭になつて鈴川行と決し申候。汽車に時間あるまゝ海岸を散歩し、波の音の淋しく恐ろしく悲しげなるに感じ、山奥の人となるとも海邊の民とはならじなど心に思ひつ、かくて三時幾分の列車にて常鈴川へ參り鈴木と申すに投宿致候。
 まづ何によりも景色をこそと、荷物を預けて田子の浦へ參り見候處、砂道十町を苦しみし甲斐もなく、無趣味にして世の人の噂ほどには無之失望致候、されど折角宿を取りしこと故、爰許二三日に滞留致す筈、たゞ喜ばしきは、吾が居間の窓から正面に富士を見るべく、眞晝の暑き中は室に在ても寫生は出來可申候。
 宿の待遇はちと行届過る程にて却て痛み入候、室には机硯箱の用意あり、疊も新しく、燈も明るく、風呂も清く食膳賑はしく料理方惡からず、部屋附の女中の注意は行届き、浴衣を着せてくれるやら、洋服をたゝむやら、食事の時は絶えず團扇の風を送るやら、少々有難迷惑の感も有之候。窓おし開き見れば、空には雲間に星の輝くを見申候、明日は定めし快晴なるべしと樂しみつゝ、安らけき臥床に入り申候。
 今朝は四時に目さめ申候、まづ富士や見ゆると起出候處、怨めしや其裾の一部通りおぼろに姿を露すのみ、白雲黒雲深くとざして失望限りなく、天上また密雲にて掩はれ居候、出たらやがて雨ならん。
 朝餐前、羽織着けたる主人は新聞持ちて參り申候、不都合のことあらば遠慮なく申出られたしとにて候、御挨拶恐縮千萬に存候。
  (十月十日朝七時)
 さて、十日の朝は空模樣惡しかりしも、兎角するうち日光の漏れ出でしに勇みて、程近き潤川の岸にたち出で、堤に茂れる野薔薇の白き花盛りなる中に畫架をすへ、依田の大橋を寫生し始め候處、やゝ一時間もたちし頃、無惨やポツポツと雨は墮ち來りて、靜かなりし水面に輪を畫くこと繁く、漸く勢烈しく相成候ものから、不得止店を仕舞ひて歸宿致候。其後は大風雨と相成、海の鳴る音風の音物凄き天候と相成候。
 夜に入つて隣室客あり、明朝三時の汽車にて東上する由、電報をかけるに武藏の上尾を上野の上尾と記して、店のものを三度も局へ往復させしが、終には自分で出掛け申候、地理と申ことを心得てないと用の足りぬことも生じ可申候。
 今朝は、三時に立つ客のために.早くよりゴタゴタ致し居、よくも眠らで五時起床、窓を開けば富士はなほ見えず、雨の降らぬをせめてもと存じ、昨日の堤上にゆきて寫生を績け申候、寫生中雲漸く晴れて、富士は久し振にその姿を見せ申候、いつも美はしきことながら、頂上の雪は僅に二三點、何となく物足らず覺え候、十一時頃寫生を終りて歸り申候、
  (七月十一日正午)
 

臺北に於ける水彩畫同好者

 戸外を見れば、青空點の雲なく、午後の太陽は熾んに萬象な照して瓦を燒き地を焦し、日除の白布にキラめく光目ばゆく門外一歩、さこそ暑からめと思ひしも遊んでも居られず、田子の浦さして出かけ候處、微風ありて思ひし程の苦もなく、やがて堤を下りて川楊長く伸びたる蔭に陣取り、松原を前にして親船二艘のかゝれるを寫し始めしに、此處にも涼風は絶えず來りて心地よく、薄寒くさへ覺え申候。歸鴉三五、やうやくあたりの薄くらく相成候に、筆を擱きて宿へ戻り候。隣室酒客あり、少しくうるさく覺え候。(七月十一日夜九時)
  ○
 今朝天氣まづ可なり、富士も朧ろに秀容を示し居候。是から橋の袂の寫生を試み、午後の汽車にて岩淵へ參る筈、岩淵には有名なる富士川あり、近くに小丘もあれば景色も此邊よりは優らんかと存居候。(七月十二日朝)
 鈴川にては、六時半より寫生を始めて、十一時に漸く終り申候。堤上草を刈るの百性、男女五六人、松の下蔭に休み居りしが、其儘ゴロリと晝寝の夢に入れり、慾に渇して炎天を奔走するものには、此味は解らざるべく候。さて、晝食後汽車にて岩淵へ參り、谷屋と申に入りしが、家は古く疊は穢く、女中はいやらしく、萬事不愉快を感じ申候、谷屋ホテルなどゝ申、西洋間の用意もあれど日本室は何れもお話にならぬ程不潔に候、横になろのも氣味あしければ、店前に今を盛りの凌霄花を眺めつゝ、三時頃迄くらし、それより六七丁程の河原へ出で見しに、矢張り氣に入つた景色は無之候得共、兎に角一枚取かゝり申候。此邊熱せる小石よりは糸遊たちて、見るから暑く覺え候も、三脚据へて腰を下せば、風ありて割合に凉しく、汗を出すやうな事は無之候。富士川の水は濁りて灰色を呈し候得共、かゝる中にも河鹿は棲みて、淋しく清き音をもらし、燒石原の草生ふる處とてまばらに候へども、かゝる處にも告天子は巣作りて、高く囀り居候。六時歸着、湯に入れよとて浴衣を出してくれしが、短かくして僅かに膝に達するのみ、我ながら失笑致候、取扱萬端鈴川の宿に劣ること非常にて、昨夜の宿の今更懐かしく覺え候、鈴川の女中は素顔なりしも、此處では剥がれて落ちんかと思はるゝ程白きものを彩り居候。鈴川の夜具は絹なりしも、こゝは更紗のシトシトせしもの、鈴川の蚊帳は新しくして麻の香りの快よかりしが、こゝは古くして四十有餘個處のツギのあるものに候。人の歩むごとに家は響きて、ユラユラと動き、船の中にもやと怪しまる、かくあらんと想像し居たりし蚤は、そろそろ出て來りて、身を置くに處なき感有之候。
 中夜を過ぎて酒客あり、二人の客に侍べる女中五六人、大騒ぎに眠りに入りがたし、漸く宴終りしかば、これから夢にと思ひしも空頼めにて、何處からか蚊が這入つて來て、一つ殺せは又一つ、うるさき事たとへ難く、終に時計は三時を打つに、是では明日仕事が出來ねばと、詮方なしに白シヤツを頭から冠りて寝につき申候。蚊帳の中に顔を包んで寝たのは是が初めてにてこの位ひなら蚊帳の外の方がましではないかと思ひ申候。
 五時には起きる積りのが、昨夜の疲勞で六時に相成候、朝は再び河原ヘゆきて夏の富士を寫し候、三時間餘、會心の作を得て只今歸宅致候。(七月十三日午前十一時)
 不相變の炎天を冒して、三時より出かけ申候、取かゝりし愛鷹を仕上げ、明日寫すべき場處など探して夕方歸宿致候處、御連れ樣が來て居りますといふ、云ふ迄もなくTI君にて、いろいろの物語りに夜を更せしが、さて寝に就きしに、隣室女中に戯るゝ客あり、他の一室には、三四の女共集まりて喧々たるあり、蒸暑くはなる、蚤は出る、蚊は這入る、その上鼠迄も來て菓子を覗ふと申次第にて、終に滿足の眠りを成さず、こんな事ではトテモ立派な繪の出來そうもなきに、夏の旅は爲すまじきものと極めて、今朝歸京致候、富士旅行の失敗記は如斯御座候草々。
  (七月十四日)

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