岩村透氏『ぬきがき』
『みづゑ』第五十三
明治42年8月3日
△フレデリツク、ハリソン曰く美術展覽會の眞の害毒は、畫家の心に與ふる其道徳的影響である。ある畫家は、此誘惑に打勝つ丈に強硬である、正直である。併し、此誘惑は絶えず活動して居る。
孰れの展覽會も、多少、一種の競爭場たるを免かれん。而かも「目立つ」物が、大部分、公衆の眼を惹く競爭場である。「眼に飛込まねばならん」而かも、輕調、愚劣、野卑なる眼に飛込まねば評価は取れん。評判の取れぬ畫家は公然技術を中止するに至る大危險がある。一越は絶えず高くなる。曲を奏するには、大袈裟な音樂會調か、或はこれ以上にやらねば何となく單調に聞える恐れがある。茲に於てか畫家は、色彩、面積、形状、圖題、額縁、汎ゆる智嚢を絞つて、眼を惹かん工風を盡した。而かも此工風を凝らしたる畫家は必ずしも劣等な者のみでない。
自己の藝を尊重する者は、斯の如き陋劣なる手段に屈從し得べきものでない。故に高潔なる畫家は之を擯斥する。
眞の藝術家をして、斯の如き下劣なる競爭者と闘はしめ、蕪雜なる周圍に依て、偉大なる美質を窒息し、下劣なる分子を奨勵する、此展覽會如き手段に依て、新しきチシアン。ラフアエルの現出を期待するは、我等の眞に恥づべきことである(岩村透氏『ぬきがき』東京美術學校々友會月報)