小天地

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第五十三
明治42年8月3日

小天地
  汀鴎
  b:白百合
 青梅に在りしころ、山に分け入りてとり來りし白百合數株、わが庭に移し植えられてこゝ幾星霜、一つの幹に五つ六つの花つけて、頭重げに夏木立小ぐらき中をほの白う、うちつゞく五月雨にその花の氣高きすがたを訪ふよしもなけれど、さすがに芳ばしき香りは居間近くにまでもおとづれ來りて、早くわが開けるさまを見ずや、やがては雨に散らんものかと促しがほなるも床しや。(六月二十五日)
  紀念會
 いつも取散らしある畫室も今日はかたづきて見よげなる敷物も布かれ、卓の上には新しき書物など置かれたり。第一に席に入りしは森島君、續いて赤城松山兩君、吉崎君來り八木君夏目君皆集まりぬ。尾瀬行に大切なる役目を勤めし煎りたての豌豆は鉢に盛られ、香ばしき茶は土瓶にあり。やがて食事の用意よしといふに下座敷に移る、尾瀬にては汚れたる風呂敷はテーブルクロスの代用をせしが、今日は白き布にて卓を掩ひて、中央には尾瀬その儘に大なる筆洗の水筒にはサツキ新菊など挿まれたり、ハム、からし漬、昆布の佃煮、岩魚なければ鰹はこれに代りつ、彼地にては匂ひのみ嗅ぎて其味を忍びしサイダーもあり銘々樂しく箸をとりつ。雨ならねば此草を庭に持出し、瓦斯ならぬ蠣燭の灯になど數寄を願ふものあり、尾瀬ヶ原には八木君の植置たる傘杖の、今頃はさこそ葉も出て花も咲きてやありなんといふ、尾瀬ヶ原にて用達せんとて花かきわけて跼みしに、そよふく風にその花はやさしくも頬を撫でゝかほりなつかしく、かゝる快よき事曾て覺えざりしとある人はかたる、ゆきし人も往かざりし人も、身は尾瀬湖畔にある心地しつ、夜の更くるも覺えず、蓄音機の「江戸紫」を奏するころ、なごりの御馳走とてお汁粉出でたり、何れも甘黨の、忽ちにして鍋は底を現はしつ。夫よりはドメノにトランプに組木に組板に、遊び疲れて散會せしは夜も二更に近きころなりし。(六月二十八日)
  綾之助
 この月限りにて當分休業すといふにより、雨の夜を中橋祇園亭に綾之助の浄るりをきく、再勤當時に比して技の圓熟せるを覺ゆ。
 當代の人氣を一身に集めしこの人十六歳の頃の事なり、われ人に伴はれて一夕小川亭にゆく、聽くもの場に溢れて席を得がたし、漸くにして彼の床に上るや、滿場の喝釆雷の如し、喝釆し賞讃するもの、その藝に於てなるか其姿に於てなるか、われ之を知らず、しかもかの少女にして如斯人を魅するの力あり、彼に長ずること數年、況んや男兒にして碌々たる吾を省み、耻ずる事切、その姿を見ず其藝を聴かずして家に歸りし事ありき。
 爾來十餘年、今日更に彼に接して其技のなほ他に一頭地を抜けるを見、我は昔日と同じき感を懐かざるを得ざりき。(七月二日)

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