寄書 無題録

菱沼毅
『みづゑ』第五十三
明治42年8月3日

 水繪で人物を描く人は甚だ少ない、水彩畫家とならんとするのもの皆風景畫さい研究すれば充分であると思ふて、人體を研究して其の奥儀を極めたる人は甚だ少數である、何にしろ皆無と云ふても過言ではあるまいと思ふ、先づ文部省展覽會や、白馬會、太平洋畫會の展覽會等へ往つて見るに、水彩畫の肖像畫出品の少ないのが實に遺憾な譯である、勿論水繪で人物を畫くと云ふのは中々六かしい事である、油繪で何んでもないお茶の粉の處が水彩では一寸出來ない場合が幾らもある、余も『みづゑ』を購讀する以前は木炭と油繪で斯究して居たから多少話せるのだ、水繪の六かしいと云ふ處は調子が思ふ通り出來ないのと、骨格を完全に描く事の困難なる事である、しかし研究次第腕次第で出來ない事はない筈である、昨秋の文部省展覽會出品中夏目七策氏の「農夫」等は敬服の至りである、又今春太平洋畫會へ出品されたやはり同氏の作「お稽古」等も、思切つて生々した色が使つてあるので之れも面白く拜見した、全く大下先生のお話の通り、夏目氏は人物に妙を得て居られる樣だ、否な研究の程は多謝する吹第である、余も現時大に死力を盡して研究して居る、何にしろ繪畫は自由藝術美であつて、あらゆる自然美は寫して以て藝術美をなし得るので、只畫家その人の手腕巧拙如何によつて美の程度を異なるのみであから、自然美を寫さんとする諸兄姉には面倒なる理屈は無用だ、只自然を愛する一念と、何處までも忠實に觀察して趣味のある自然美を表現すろ事が肝要であると思ふ、口先ばかりの皷學者ならいざ知らず藝術はどこまでも神聖であるから、自然を愛する諸兄姉よ、技に優れたいといふ大野心を以て何處までも眞面目に研究されん事を希望して終を告ぐ。

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