トモエ會の水彩畫
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第五十五
明治42年10月3日
トモヱ會の展覽會は、上野竹の臺陳列館に於て九月一日から開かれた。私の往つて見たのはその月七日であつた。陳列の繪畫は百點を僅かに超えてゐて、其内の八十九枚は水彩畫である、そして比較的鑑賞に耐える作も水彩畫のうちにあるやうに思はれた。
陳列せられたる繪畫そのものは、例によつて甚だ振はない、たゞ石川氏の作あり、これによって僅かに活氣を保つてゐるに過ぎぬ。
石川欽一郎氏の諸作、それは昨年に比して確に技の進歩を見る。
寫さんと思ふ處を、極々ラクに紙面に現はしてゐる、その長所は甚潤ひあつて且豊富なる色調、輕快なる筆力、これ等がよく一致して活々した繪が出來てゐる、併し、短所もまた數へられぬでもない、それは、此の繪に向ふと、自然より受くる快感を味ふといふことは第二にして、最初に氏の才筆が目につく、即ち筆とか繪具とかいふことが先に見えるので、石川氏自身が繪の上に現はれ過るやうに思ふ、これは私が、あまり自然を重んじ過るために、そのやうに感ずるのかも知れぬ。或人は、氏の繪に敬服してゐるに拘はらず、澤山見ると一様に思はれて興を失ふ、二三枚見て置くと實によいと言はれた、併しこれは氏の罪ではない、氏の寫生地が一定の區域内を出ぬのと、其地の氣侯が。春も秋も冬も殆と同様の綠を有するのとで、自から繪が一様になるのであらう。
鵜澤四丁氏も澤山の出品がある、アマチユアとしてこれ丈け畫ければ結構である、併し、概して進境を認むることは出來ぬ。
構圖に於て往々拍案せしむるものがあるが、色彩の上に大なる欠陷がある、研究の跡は見えずして、其線も其水も其蔭の色も殆と一定してゐる、この點に深い注意を拂はれたなら、佳作を産むことは難事ではあるまい、併し零碎の餘暇を以て彩筆を採らるゝ氏に對してかゝる要求は或は無理かも知れない。
五姓田芳柳氏も十餘點の出品がある、私はたゞ其熟練に驚くのみ、それ等の繪によりて、何等の印象も何等の利盆も受けなかった。
永尾加多留氏の作には、幼稚な處もあるが、それだけ熱心な44點も見えて、中には足を停むる作品もあつた其観察の割合に不徹透なるに反して、筆致の細かいのが目につく、これを反對にせられたらよからうと思つた。
上野濟次郎といふ人の作が一鮎ある、これは稍よい方であらう、大森柳江氏の繪は、前年より面白いものが多く出來てゐる。其他伊東函嶺、津川藤三郎、竹内幸三郎、加藤寧諸君の出品があるが。こゝには評を省く。