北越所見

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第五十五
明治42年10月3日

 冬は絶えず雪や霙が降つて、電光閃めき海鳴るときく北國の事ゆへ、初秋のこのごろ、さぞ荒寥たるものであらうとは豫てよりの想像であつた。
 高田を過ぎ直江津を跡にして、程なく電窓の左に初めて北國の海を見た。空は暗く雨は降り出す、何となく陰欝な光景ではあるが、海は存外平稔で、鯨波あたりの海水浴場は、鎌倉や大磯に優るやうである、水も清く景色もわるくない。
 此沿岸で氣に入つたのは川尻の景である。川といふ川は、打よする浪のためか、海近くへ來ると、水は湖水のやうに静かになって、海の中へ沒してしまふ、その鏡のやうに静かな水面へ、漁家やら漁舟やら、干したる綱などが倒まに影をうつしてゐる、こゝに三脚を裾へたいと思つた處は幾個所もあつた。
 日本海の水は清い、岸近くでも綠を含むことが少ない、從つて色は淋しいが、雲の變化は相應にある。佐渡ケ島も淡く見える。
 宿の二階で海面を見てゐると、極岸近くに尺餘の魚が二三うちつれて泳いてゐる、これは黒鯛であるそうな。
 出雲崎
 尼瀬と合して一町を成してゐる。入口から町端れ迄は一里もあるといふ、道幅もせまく、また裏町といふものがない、一方は海一方は山、あまり人通りのない静かな町である。
 柏崎と云ひ、與板と云ひ、見付と云ひ、何處でもそうであるが、切ツマの家根は長く出で、町は殆と二階建、軒の庇は一問も往來へ出でゐる、これはガンギとよばれて雪の時はこの下を通るのであるとか、家根は何れも板葺の、大きな石が澤山規則正しく載せてある、家は板圍ひの、形式も色も一様で、壁がないので色が乏しい、白壁、黒壁、土塀の赭色などは見るごとが出來ぬ。軒にはのれんなく、看板少なく、商品は深く藏して店頭に花々しく並んでゐない。其上入口に、子持筋のあるスダレが垂れてある。煙艸小賣の小さな看板に、僅かに色を見るのみで、死の國のそれのやうに、町は質素に淋しいものである。
 日本海滑岸の町村には、?々大火がある。直江津、新潟等、最近のとで、糸魚川でも柏崎でも、こゝ出雲崎でも、其の苦い経驗は持ってゐる。特に此地は、一方は山で、町は一筋道なり、大火の時は海が荒れるので、海岸は逃られず、一度火を失すと、必ず人死がある、それ故火を警むることは非常で、一町毎に消火器が備へてある、この頃の天氣續きには、萬一の用意にと、家毎に大なる桶に水を盛って門口に出して置く。
 有名なオケサ踊りは此處が本場だそうな。長岡は米山甚句、柏崎は三ガイ節、何れも越後で名高いものである。
 秋祭り
 八月二十六日は諏訪様のお祭りで町は賑ふ。稻荷サンも不動サンも、宮といふ宮、社といふ社は、何處でも長幟を建てゝお祭をする。大きな提灯が家々の軒にかかる、消防の道具が飾られる、町内の子女は皆よそゆきの衣服を着る、今年とつたのか、單衣の背に肩あげの跡のあり?と見えるのもある。
 やがて神輿の渡御がある。まづ太鼓がゆく、金棒曳いた子供がゆく、數台の矛がゆく、万燈、旗、造り花、弓矢を肩にした數十人の白衣の子供、麻上下つけた同し程の人數の子供、低い車のついた台の上に置かれた、等身大の張子の神馬が曳かれて、次に太鼓、その次が神輿で、若者が大勢どよめいて擔いてゆく、最後に四五十人の町役人がアラレ小紋の上下着けて從ふ。この町役人こそ見物たれ、上下つけたる姿に、★藁や擬ひパナマ、甚し暑は冬の鳥打帽を冠つて得々どしてゐる。洋服に三度笠よりもまだ不調和である。先年迄は、一文掌笠を冠つたそうな、それでこそよけれ、詰らぬ改良をしたものである。
 祭禮の當日、學校では全生徒を集めて、校長先生が引連て、本社に參拝する。これは美風だど思つた。面白いのは、生徒のうちに菅笠を冠つて來たのが三四人あった。
 

河岸石川欽一郎筆

 沼垂の町
 初めに町を通つたのは刀の夜であつた。暗い家、暗い森、其間を通つてゐる一條の路は明るい。折々橋がある、動かぬ水に月が映じて美はしい。
 翌朝再び町を通つた、信濃川から引いた水は、到る處縦横に流れてゐる。
 水の傍には必ず年古りた柳がある。
 柳の下には小さな桟橋がある。桟橋の上には若い女が物を洗つてゐる。
 水が輪を畫くと、岸に繋いてある小舟がうごく。水禽が悠々として遊んでゐる。沼垂は水郷である。この静かな水、このやさしい橋、この愛らしい水禽、これだけあれば私は満足する。
 新潟
 人に案内せられて、四百八十間の萬代橋を渡り、新潟の町を見る、再三の大火で町の主要な處は何れも普請中である。先づ唯一の公園白山神社ヘゆく。社は古雅愛すべし、左りに蓮池がある、蓮池を前にして茶亭がある、堤の上から洋々たる信濃川が見える、上流にあたつて角田彌彦の山々が遠望されるそうだが、生憎霞があつて姿を出さぬ。招魂社へゆく、高臺で市中が少し見える。俥は日和山に向ふ、海抜二十尺の砂山からの眺望は中々大きい。下は海水浴場になつてゐる。更に信濃川の河口に向ふ、燈臺がある。新潟で見るべきものは只これだげ、景色は詰らぬが、まだ名物で見せるものがあるといふて、最後に行形亭で三人の美人を見せられた。
 所感
 東京から越後へゆく人は、信州路を越へると何となく暗い處へ入るやうだといふ。越後から東京へ歸る人は、信州地へかゝると何となく明るい處へ出たやうだといふ。深山幽谷なら知らぬこと、比較的平野の多い越後は、決して暗い國ではない。暗いといふのは色の貧しいことであらう。松の幹もイヤに黒い、綠も冴えざへしくない、海の色も蒼黒い、町や村にも色彩がない。
 野に働く人に、關東のやうな赤い帯や襷を見ない、越後は色のない國である。
 色は乏しいが、越後は氣樂な國である。上州や信州や、人氣のよくない庭から越後ヘゆくと、あまりに懸隔の甚しいのに驚く。夜る戸締をしない村がある、實印といふものは、平生入らぬものだと、名札をつけて役揚へ預けつばなしの處もある。米が澤山あがつて、石油が地から湧いて、魚がやたらに獲れる。
 天恵の多い上に、人は勤勉で、仕事の出來ぬ冬は、他國へ出稼する。倹素を守つて無駄遣ひをせぬ。夫故、貧民がなく、自から豊かで暢氣である。この國に住んでゐたら、さぞ長命することであらう。
 うつくしの佐渡が島あはく見えて
 あらいそにうちよする浪の音たかし
 はまきけふあまたさきてすな道ながく
 秋の日をひら?と黄なる蝶とぶ

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