第四回講習會の記

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第五十五
明治42年10月3日

 水彩畫の夏期講習會は、ニヶ年續いて關西に開かれた、本年は關東にとの希望者多く、一部を鎌倉で開くことにした。入會の申込は、東京、京都、大阪、愛知、千葉、神奈川、静岡、奈良三重、埼玉、岡山、福井、徳島、和歌山、栃木、兵庫、岐阜、鳥取、群馬、巖手、宮城、山梨、愛媛、及韓國京城等にて、総員六十五名、そのうち事故缺席を除き、事實出席者は左の諸氏であつた。
 西田定次郎富田圭五郎佐藤新助岸頼正加藤一松新野利三郎湊寛之衛藤熊太郎竹内久子加藤鐵太郎北野康太郎中山巍中野傳次郎平井要奥村博白井七郎立川精治上代義郎小林彌太郎影久良雄宮崎政之助楡井暢明川合政次郎桑田義雄吉岡貫一郎西村好時鷲見忠治佐久間準三田中瑞穗澤田豊三寺田勇一關根重治角田松作山形寛水谷藤太郎片桐桝之助小林幾太天城純小島仙松大野承太郎高垣光楠江西藤十岸順一岩壁三郎和田常藏佐藤五郎森沖右衛門堀谷一郎平野環菊地秀雄淺摩近三盆永次一郎以上
 會員の身分は前年と大同小異である。工、農、醫科大學生、中學、師範、商業學校生徒、教員、官公吏、其他實業家等である、そのうち第二回以來、又は前回出席せられし人も十數人あつた、是等の人なに種々なる用事を托し、會の爲めに助力を受けたるを以て、煩?の事務は滞なく進行した、こゝに改めて其勞を謝す。さて開會中の次第は左の通りであつた。
 八月二日晴。午前七時建長寺内本派普通教校に參集、講話『水彩畫修業の順序』(大下)一時間。八時より全員静物寓生。材料『書籍に酸漿』モデル臺四ヶ所。正午終り。午後、要塞地寫生許可証未着のため三時間講話『透親畫法』(大橋)一時間。『水彩畫修業の順序』(大下)一時間。此日會員富田氏を委員長に、佐久間、水谷、桑田諸君を委員として會務を托す。夜八時より、丸屋同宿者懇親茶話會を開き十時閉會。
 三日晴。午前七時半開會、講話『繪畫の成立』(大下)一時間。静物『花瓶』『提灯』『日向葵とコツプ』四時間。午後八幡社内寫生。
 四日晴、午後時々雨あり。午前、講話『透親畫法』(大橋)一時間。静物前日と同じ。午後、戸外寫生は雨のため半にして止めたり。夜八時より講話、『レネサンス以前の繪畫』(大下)一時間半。この日三條公爵、令夫人、會場へ參観に來らる。
 五日半晴。午前、講話『美術の定義』(大下)一時間。静物二ヶ所變更、『三脚とスケツチブツク』、他のニケ所は前日に同じ。
 午後、八幡社境内寫生。
 六日晴、午後時々小雨。午前、講話『色彩の對象』(大下)一時間。静物、一半は『南瓜』。午後、八幡社内寫生。夜八時より講話、『鎌倉の地理及歴史』(佐藤)二時間。
 七日晴。午前、講話『透親畫法』(大橋)一時間。静物、一半は『ビール壜にコツプ』。午後、八幡社附近寫生。夜八時より講話、『赤石山系の旅行談』(小島)一時間。
 八日晴、早朝より由井ケ濱寫生。午後、八幡社附近及建長寺境内寫生。
 九日晴。午前、講話『色彩の話』(大下)一時間。静物寫生、一半は『桔梗の花』。午後、八幡社及建長寺附近寫生。夜八時より全員茶話會、十時散會。
 十日晴。午前、講話『色彩の話』(大下)一時間。静物、一半は『小瓶』。午後、前日に同じ。
 十一日雨。午前、静物寫生『百合の花』。『釣燈籠』。午後曇、建長寺附近寫生。夜八時より講話、『近世繪畫の流派』(大下)一時間半。
 十二日晴。午前六時出發、江の島行、終日寫生。
 十三日晴、曇。午前、講話『色彩の實驗』(大下)一時間半。『透親畫法』(大橋)一時間半。午後、建長寺及圓覺寺附近寫生。夜八時より講話、『パステルの話』、『水彩畫に關する雑話』(大下)二時間。
 十四日晴。早朝より材木座海岸寫生、午後八幡社内建長寺附近寫生。
 十五日晴。午前七時參集、會員の製作千餘枚のうち四百枚陳列、批評を爲し、終て鶴ケ岡社側に於て寫眞撮影。午後一時より丸屋に於て茶話會を開き、二時目出度閉會す。此朝三條公爵及夫人會場へ參観のため來れる。
 以上は開會中日記の大要である、會員の熱心なる勤勉は、吾々をして感奮せしめ、出來るたけ指導に力を盡したが、何分多數の會員のことゝて、各自に満足を與ふることが出來なかつたのは遺憾である。終りに臨み、本會々員のため、特に多忙中有益なる講話を演せられし、佐藤敎論、並に小島烏水氏の厚意を拜謝す。(汀鴎)

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