寄書 オトツサン

川合生
『みづゑ』第五十五
明治42年10月3日

 兼て評判のKT(富田委員長の事)君は、豫想の如く適任の好委員長であつた。二階から飯の催促など、随分思ひ切つて活溌の事を演ぜられたが、吾々は常に喝采し賛成して「流石は委員長」だと褒めて居た。
 殊に第二回目の茶話會の如きは、ステキな手腕を揮はれた、午後八時から九時三十分迄僅に一時間半の短時間であつたが、非常の盛會で、會員は悉く醉つた檬になつた、行人足を止め、宿の下婢に至る迄、悉く謹聴して居たのも無理はない。翌朝は疲勞して、早朝起き出づるの勇氣がなかつた。會員は今更の如く、皆KT君の伎兩に敬服して居つた。
 又仝君は、親切で温顔で、一見舊の如く、話される事が趣味津々として、實に慕はしい人だ。之れからも講習會でもあつたら、先づ第一番に呼び出して下さい、兎に角、會員を慰安された効は盡し難い、會員一同から深謝する次第である。
 併し、委員室とは距つて居て、起臥飲食を共にする事が出來なかつたのは、遺憾の極である。
 下婢はお幸お千代の二人が、親切でよかつたが、便所の手洗水の乏しかつたには閉ロした。

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