寄書 高野日記の一節

T、S生
『みづゑ』第五十五
明治42年10月3日

 八月十六日。温度午前六時六十四度、午后一時七十八度、午后九時七十度。
 八時頃から奥の院へ友人と一人でつて、武田信玄の廟を中景に、古杉の大木を近景に、墓石と雑草と杉とを遠景にして寫す。珠に廟の線の杉葉、皆深い色である。四國順禮が前の道を通つて行く、樵夫が五六人重さうな荷を負ふて杉の森から出て來た、荷負ひの姿が隠れると、順禮の鈴の音が杉木立に響いた、じわ?とした水氣が膚へを襲う、雨に遇うた三上肇りの道者が通る、小雨が降つて來た。
 十八日。温度午前六時六十一度、午后一時半八十六度、午后八時七十二度。
 金剛峯寺の前を西に出て、金堂の南側で町を寫す、と、曲藝師の一座が目の前でロ上を述べる、其親父の手拭に日光を受けて居るのと、股引との對照が實に面白い、やがて三人の小供が、荷の上で曲藝を始め出した、太鼓の音に人の山を築いた、自分は繪も畫けぬので見て居る、紀★なまりで歌ふ劒舞の歌何だか田舎の村にでも有りさうな。
 宿坊に歸つて風呂に飛び込むだ。

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