雀の研究

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第五十六
明治42年11月3日

 雀といふ小鳥は、吾々は毎日見て居る、見てゐるのみでは無い、毎朝烏の聲に次いで雀の聲を聞く、雀の聲を床の中で聞いたら起床するのだと、小學校の先生と母から八ヶ間敷子供の時代には言はれたものである
 子供の時代は訓言をまもつて、チユーチユーといふ聲が耳に這入ると、直に起床したものだ。それからのち僕は成人になつて、母と同室に寝なくなつた、あるとき田舎の母を訪ふた、十日餘り久しぶりで母の側に寝た、僕は成人になつたつもりでおるが、母の眼から見たら何時でも子供に見えるのであらふ、種々の注意をして下さるのは子供あしらいである、或る朝母は早くから眼覺めて、鳥の聲も聞き、雀が啼き出したとき僕をゆり起して、雀が啼くよと仰せられた、啼きますかねーといふて寝返へりをした、さうすると母は雀の聲を聞いたら起床るのだよ・・・・・久しぶりにて子供のときに聞かされたいともなつかしい母の聲を聞いた、そして、そのときは自分が成人であるといふ事も、妻も子もあるといふ事も忘れて、二十餘年前の子供となつて、母の首に抱きついてあまへたいやうな氣がした、僕ははいと答へて直に起床す可きであるが、何だか眠むくて直に起き上る氣になれなかつた、そして母に答ふるには、雀の聲を研究するのだから静にいま少しの間寝かして置て下さい・・・・・これが雀研究の動機である。
 自分の見た各地の雀
 雀は一種類のみと思ふてゐたが、先年ハワイ島のホノルヽ港に上陸して市街を散歩したとき、市場の前や道路の馬糞に、小鳥の群集して貪求てゐるのを見た、形態は我百舌鳥より少し大きく、焦茶色で頭と嘴は黒く腹は淡灰色で吾雀に似て居る、士人に聞て見るとスパローだといふ、吾が雀に比較すると全體が大きくそして色が鮮明である。熱帯地を始めて見た眼には凡てが變つて居るので、別乾坤の感が起つて、雀までが相違して居るのには今更の如くに驚いた。
 米國各地と欧洲各地で見た雀は、これも日本の雀と達つて居る、これは形態が小さく、色は茶勝ちで、凡てが煤煙に汚されたといふ様な煤色のもので、啼聲も小さい様だ、人家附近に群れて街頭の馬糞を貪求つて居る。馬糞には消化しない★粒等が混じて居るから、それを貪求るのであらう。山雀とか、入内雀とか、その屬は種々あるが、人家に棲息してゐる雀は、余の見たのはこの三種である。其の後米國の雀に就て、學者の説明するのを聞くと、元米國には一種の雀が棲息して居たとの事であるが、西暦千八〇一年より以後三十年間に英國の雀を千五百羽放つたのが、今日では米國全部に繁殖して、その結果米國在來の雀は大に減じて、今では稀に見るとの事である。
 ハワイで見た雀は羽毛が鮮明で美しく熱帯的で日本のは瀟洒的で西洋のは灰色的であるこれ自然の化成色である。
 雀の棲息せざる地
 雀は人家のある處には必ず棲息するものと信じて居つた、處が二三百年前から開らけた、群馬縣の北部、吾妻川の水源にある鹿澤温泉場には、昔から一羽の雀も棲息しない、或る物好きが十數羽放つた事があるが兩三日のうちに何れへか逃げ去つたとの事だ。尤もこの地は二十五六戸の小部落で土地が高く、夏も冷氣であるから、彼の食とする穀類は何も出來ない、冬は雪は多くて土地の人も里の方へ下るとの事であるから、それがため棲息が出來ないかもしれぬ。その他、山の奥の新開地にも居らぬとの事である。そして自分は先年小笠原島に渡航したとき、彼の地に於て一羽の雀も見なかつた、こゝも穀類は出來ないが、全島開らけて部落が澤山あるから、彼等の棲息は無論出來ると思ふ。然しこゝは開らけて四五十年の事であろし、最初は無人島であつたので、燕の如く海を渡つて行くといふ事は出來ないから居らぬのであらふが、物好きな人が放したなら、こゝにも繁殖するであらう。其他の島に就て調べて見たが、雀の居る島も叉居らぬ島もあつて、開島久しき島には棲息して居るとの事である。
 雀の畫題と誤描
 雀は古い時代に於て支那から日本に渡つたものであらふ、支那の古畫や古詩等に雀が題となつて居る、日本の古い畫題にも詩歌の題にも上つて居る、日本畫などの花鳥畫には多く雀が描かれ、近代の日本畫家も畫題として描たものを、何時の展覧會にも澤山見る、そして日本畫にでは佳く畫きこなして、花鳥畫丈けは世界に誇りとするに足りやうと思ふ。西洋畫も古い時代に密に描た花鳥の油繪等を見たが、輕い筆の運びで活動状態を現はしたものは見ない、花鳥謁は日本謁の長所であらうと思ふ。然し我々の立場から批評を下すと、いま少し自然的に研究してもらいたい。春の花が燗?と咲き亂れて居る中に、群雀を描いたものがある、美しい花に群雀を添加して美を現はしたので、自然といふものに重きを置かないのか、吾々の自然観よりすると、これは間達つた誤描である。雀は必ず一羽二羽で居るもので無い、少くも四五羽位は居るから群雀といふても差支ひはあるまいが、然し特に群れる期がある、先づ自分が雀に就て調べた事をこれから述ぺて見やう。
 冬の雀
 凡ての雀が皆等しく、色も形態も同じで、羽毛も完備し色も鮮美である、食を満して木の枝に憩ふて居るとき、又は寒き朝や雪の日は毛を脹らして居る、これ等は膨雀の稱ありて畫題、又紋所及模様等に用ひらる。この季は野に穀類無きため人家附近に群れて、落穗こぼれ穀を食求る、そして彼等の敵として最も怖るべきものは、鷹及びその屬で、これ等の來襲を注意するため、地面に下りて食求るときは不断頭を上げて各所を見廻はして居る、又敵の來襲をうけるときは枝の密叢して居る樹、栂、籔、の如きものを保護器とたのみ、その中に飛び込みて姿を隠す、鷹屬の鳥は自分の羽は惟一の生命とたのむため、羽を害すをおそれて深叢及び藪の中には這入らない、故に冬の雀の群て居る處は、必ずその附近に密叢した樹木か籔があつて、何も無い處へは群て居ない。雀を捕獲する猟師が烏を置て雀を集める、それは何故であるか、鷹とその屬の鳥は烏を怖れて居る、そして烏は雀に何等の害を加へないから、鳥の爲めに安心してその附近に集まるのである。それから彼等は食を爭ふとき爭騨を起す事がある。一羽二羽位は何もなき空地に下りて居る事もある。故に冬の雀を描くは羽毛の色を鮮美に、少しく體を脹らし、三四十の群を描き、附近には籔の如きものを添加したい、そしてバツクは人家とその附近を見せたい、穀藏の前等尤も妙である、枝の細かき梅樹等も集めるも可。
 春より夏の雀
 雪は消えて梅や櫻に春の使命の下る頃になると、彼等の産卵期となるので、雪が消えて他に食を見出すことが出來るから、鷹やその屬は雀等をねらはなくなるから、彼等は安心して春來にけりと歌ひつゝ、人家を離れて、若草や花の野山にちらばる、彼等は春氣發動して、雄は雌に媚びつゝ、花の枝や屋根の軒端等にとゞまつて、人間の耳には美音とも感じないが、彼は一生の美舌を弄して雌の愛を全均に浴ひやうとして、身態にもかまはず浮身をやつして狂ふて居る、この間には嫉妬の争ひも出來て雄や尾をピンと立て、羽を稍々ひろげて垂らし、頭の毛を少しく立てゝ、一羽の雌を二羽の雄で追ひかけるのもあれば、喰ひ合ひして屋根からころころころがり落つるのもある。屋根の項の一端に、少しく脹らぎて一種の啼聲を以て雄を呼ぶ雌もある。かくの如くしてこゝに雌雄一對の夫婦は出來て、軒端又は木の洞等に巣を營みて産卵し、孵化して親切なる親鳥はか弱き雛を哺育するのである。春氣登動の頃より羽毛の色はさび色を呈し、雛を哺育して雛の獨立を保つ。次は、親鳥はみすほらしい程痩せて羽毛は半ばぬけ、色も汚れる。春夏二回の産卵哺育した親雀は見るかげも無きまでにやつるる。
 春の雀は數十羽群れると云ふ事は無い、多くて三羽四羽位で散じて居る。若葉の頃となると、雛を引き連れて人家やその附近の野に出で、哺育して居る、雛は全體に於て親鳥より小さく、且つ色も灰色の多い薄色である。
 秋の雀
 この季になると雛雀は皆一人前となり、體も羽も完備して、親鳥に比して色が淡い位の相違である、親雀も羽毛はぬけかはりて新しい着物を纒ひ、穀物は豊熟の季なれば、人家を離れて數百の群をなして、田畑に下つて食求るのである、多く群れるときは無量の數にて、太陽の光線を遮ざる事がある、そして四方八方から夕暮になると村端の竹林や或は杉林等に群集して來て、うるさい程囀づつて居る、群雀を畫題とするはこのときである。竹に雀を描くは冬と秋の季である。
 雀の聲
 猫の聲のニヤンと聞こへるのが西洋人の耳にはニユームと響き、鶏のコケコーと歌ふは彼にはコヽリコと聞こへる如く、雀のチゥチゥチンチンチヨチヨ等に聞こへるのは西洋人には何とか別に響くであらうが、これは調べなかつた。小鳥の聲や物のきしる音は、聞きとりかたによつて何とでも響く、雀は忠と啼き又千代と啼くといふて吉祥として居る、千代萩の政岡は雀を人間に見立て、忠と教ゆる親鳥の・・・・・等云ふが、實際チンやチゥはよいがチヨチヨといふ聲を發するときは、雀の悲しむときの聲で、寢鳥を追ひ出すときは闇の空を當無しに逃飛ひつゝチヨチヨと啼く、又雪深く寒い夕の宿り雀はチヨと啼き、雛を奪はれて悲しむときにはチヨチヨと啼く、こんなときに呼ぷ聲であると知るときは、チョと帰くのは吉祥では無い、元且等に啼てもらはぬ方がよい。群雀の喧騒するときはチャチヤと啼く。友を呼ぷときはチンチンと啼く。
 水彩畫の畫題としての雀
 前にも述べし如く、古來畫題として雀が描かれて居るが、未だ水彩畫として試みたものは少い、特に雀と限つた譯でない、つまり花鳥の水彩畫で輕快な筆を運んて描寫する妙枝は、日本人は先天的に備えて居るから、寫生を本位とし、自然の趣きを破らず研究して描寓したなら、之・れより發展する餘地もあり、全世界に誇る新美術が日本に於て現はるゝであらふと思ふ。

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