美術談義
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第五十六 P.6
明治42年11月3日
私は水彩画に用ゆる爲め今度文房堂に頼んで圖の如き筆を作らせました。種類は極大。大。中。小の四種です
他の種類を作らせても好いのですが差當り之で充分だと思ひます。寸法は大凡左の如くです。
極大幅一寸二三分程大八分程中五分程小三分程
此筆は油畫の平筆のように皆先きをッブして貰いましたが丸筆の方がよいとならばそうも出來ます。私はツブしたのが數寄ですが之は廣い部面を塗るに便利なのと。又た細い線を引く時には縦にして用ゆると都合が好いからです。毛は夏毛の揃つたのを撰み。代價はまだ確定できぬそうですが一本三十銭内外で上るだらうとの事です。此筆は皆先きの方を太くし。軸はフクラミを付けずに細く一直線にして貰ひました。先きを太くしたのは水を含む事が多いのと。毛が素直に植はるからで。軸を細く直線にしたのは指先の運用に工合がよいからです。此軸の先きを尖らせて私は引掻くのに遣う考べです。引掻くとは例へば暗い森の中へ明るい細い枝がヒヨロヒヨロッと出て居る揚合などに。塗残すのは面倒でもあり勢も抜ける。ホワイトを遣うも重苦しくて嫌です。夫故濡れてる内に筆の先きで一寸引掻くのです。之は小刀で引掻いたように荒びず穩やかに出ますから一つ試みて御覧なさい。若し己に画面が乾いた後ならば。枝の處をスッと水で畫いて。地の繪具がウマく潤つた度合を見て右の方法で引掻くのです。此爲めには筆の軸の木が少し堅い質のが好いのです。軸の先きへ象牙の如きものを付けて貰うかとも思つてゐます。文房堂は。筆の先を太くすれば毛が抜け易くなる恐れがあると云つて居ました。或はそうかも知れませんが。已にニユートン製のにも先の太いのがあり。先きをツブしてあれば大概大丈夫です。從來私は自分で毛をスゲ換へて先を太くして用ゐて居ますが。毛を留めるには封蝋を用ゐ。之をランプの火の上にカザシて熔けてくるトタンに毛を差込んで直ぐ冷水に漬けますとシツカリ付いて仕舞ます。職人の方でも追々と好い方法を研究するでしよう。此程見本は出來ましたが少し毛の腰が弱い感はありましたが。之も追々と研究が積んでくることゝ思ひます。用ゐ馴れると從來の筆は誠に工合が悪るくなります。諸君~、一つダマされたと思つて私の筆を遣つて御賢なさい。中々妙ですぜ。
夫れは分つたが。一體そう筆を氣にするはどう云ふ譯かと不審なさる方々もありませうが。筆は畫家の手の一部分です。筆と手とは一心同體となつて仕事をするのですから。其筆が自分の氣に入らぬものとか。筆屋の職人が勝手にこしらべたものかとでは迚も満足が出來ぬ譯になります。畫をかいて筆が遣悪い程不愉快はありません。寫生だらうが習畫だらうが自分の愉快が第一です。研究中は一生懸命刻苦勉勵せよなどと能く人は云ひますが。畫の方は別です。そう窮々として面白い畫の出來るものではありません。人は知らず私丈は只モゥ面白いと思つて畫をかくのが數寄ですから。刻苦勉勵などゝは誠に耳障りで平に御免です。勝手放題に畫いて居れば段々経験も積んでくるソレが即ち研究なのです。
筆なぞは何んでも好い。能書は筆を撰まず。付木ツペラでも畫はかけるとリキむ人もありませうが。そう云ふ人はそれで差支へありませんから御遠慮なくそう願うことゝし。私は筆を吟味するのが何より面白いので。つひコンナような次第になつたのです。筆の御紹介は之で止めて。大下さんはニユーマン製のアルミニユムのパレツトを持つておゐでゝす。輕くもあり又たエナメルのハガれる憂もない。至極工合の好いものです。之も文房堂へ相談して見ました處が。一つ作つて見ようと云ふので。見本だけは出來て見せてくれましたが誠に氣持の好い出來です。代價は三圓内外との事でした。今に彌々賣出すようになれば誠に便利なことゝ思ひます。
今度のお談は少し文房堂の廣告をしてやつたような氣味になりましたが。勢致し方ありせんが。其代はり本會の諸君に限り。凡てタゞで呉れるように交渉して見うと思ひますが。先方で承知するかドーかは分りません。