文部省展覧會の水彩畫

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第五十六 P.17-18
明治42年11月3日

 第三回美術展覧會第二部では、九十八點の出品のうち、水彩畫が二十點ある総數の五分の一であつて、點數に於て昨年と大差はない。さて一覧した處、第二部そのものが、昨年に比して振はない其上に、特に水彩畫は殆ど活氣なく、加ふるに出口近くの薄暗き室にあつて、一層意氣消沈の有様である、有體に言へば、太平洋畫會展覧會に於ける水彩畫の方が、幾多の興味と幾多の利益とを私に輿へたが、此展覧會に於ては、これぞといふ印象を受けなかつた、併しその儘にしては、私の義務が濟まぬから、一覧の際思ひ浮んだことを聊か記して見やう。
 

海岸大下藤次郎筆

 相田寅彦君の出品中、九一『森』はよい繪である、暗き森、灰色の草花、たゞそれ丈けであるがよく感じが出てゐる、色もオチツキがあつて忌味が殆どない。八六『暮色』は、可なり苦心の作ではあるが、前景などに故とらしいブラツシが見えて、『森』ほどに無邪氣に出來てゐない。石井柏亭君の、八〇『熊野河口』は心持のよい繪である、雲はどうかと思はれるが、川口の静かな水、それに映じた空、前の暗い山もプラツシに曖昧な處がなくて面白いと思つた。九七『憂欝の谷』は織田一麿君の筆であるが、よく感じが出てゐるそして大きな調子が掴まへてある、繪は少し硬いがあまり苦にはならない。
 中川八郎君の、八三『秋のむらさめ』は、淡い心持のよい繪で、見こたへのあるといふ程の作ではないが、何となく氣に入つた。吉田博君の八一『雲表』は、面積に於て一番大きいし、描いた場處も立山絶嶺よりの展望であるから廣大であるが、惜いかな高山の感じが不充分のやうに思はれた。八四『松林』は中林★君の筆である、繪はあまり佳作とは言へぬが、何等の野心もアテ氣もなく、平凡な處を眞面目に寫した其態度が嬉しい。三宅克己君の、九五『札幌の牧場』は、君の繪としては新しい試みに屬すべきものであらう、色の不愉快なるは其地の自然であらうが、其土地を知らぬ人には少しく變に思はれる。水野以文君の、九三『城邊川岸の一部』は、東京のローカルカラーがよく現はれてゐる、まづ缺點の少ない繪であらう。赤城泰舒君の、九六『高原の朝』は、かゝる境地に往つた事のない人には、此繪の價値は分るまい。私の見る處では、其構圍に於て遺憾の點も多く、また描法に於て伸ひやかでないといふ批難もあらうが、高原といふ感じは充分に出てゐるたゞ、朝と断はられて、そこに異議が生するかも知れない。
 要するに、本年の水彩畫はあまり振はない、そこで紹介の筆を執るのも張合がない譯であるが、こゝに一言したいのは、この二十點のうち七點、即ち三分一以上は、日本水彩畫會研究所の、學生の手になつたものであつて、吾々の経營にかゝる、微々たる研究所より、これ丈けの出品を見ることが出來たのは、本誌の讀者と共に大に祝したいと思ふ。
 序に言ひたひのは、額縁の不調和によつて、其繪が大なる害を受けてゐるといふことで、現に相田君の『暮色』の如き、赤城君の『高原の朝』の如きは其一例である。額緑と繪との調和については、他日稿を改めて思ふ處を述ぶることにしやう。(完)

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