石田凌風
『みづゑ』第五十六 P.23-24
明治42年11月3日

 『鬼が住む淺間を前の薄かな』之れは丸山先生が薄の繪はがきに題して一昨年の秋お送り下さつたものである、其頃「みづゑ』に先生の秋の自然と云ふ文章が載つて居た、其の中に薄の美しいことが書いてあつた、自分は非常に薄が好きであるが、それでと云つて別に深く研究した事もない、唯好きであるから好きなことを書いて見る、無論丸山先生の秋の自然をもととして自分の感想を加へたものに過ぎないのである。
 秋の野には色々の花が澤山咲いてゐるが、秋の野に最も多くて秋の感を一層強からしむるものは薄であらふ。
 薄は他の花の様に、庭に植えて賞美するには適しないが、之れが廣い野原や山腹や堤防等に群つて、幾千萬とも知れぬ多くの穗がつくつくと立つて開いて居るのや、又裾野などの、見疲す限り目も杳かに、尾花が山おろしの風に白銀の波を★ぐる様は眞に壮大な光景である。
 彼の優しいなよなよとした女郎花や野菊が、この堅い薄の中に咲くのは面白い調和でないか。此外、つるもどき、ささりんだら等も、薄に雑つて秋の野を美しくし、秋の色彩を豊富にして居る。
 露を宿せる薄が、夕月に輝く様は、又なく優美なものである。
 薄の葉や花が、己に美妙な曲線である、其れに露と云ふ多情なものを飾つて、美しい夕月の光に輝やかせるのであるから。
 時雨の薄は瀟洒なものである、薫園氏の歌ほほけては銀色なせる穂薄におなし色なる朝しぐれすもといふのは、之れを美化されたものである、其の儘模様にでもすれば氣のきいたものが出來るであらふ。
 雨の中に一二本立つて居る薄は非常に淋しいものである、古事記にある大國主命の歌に之れが巧く使ふてある、命が、正妃須勢理姫の嫉妬に堪えずして逃げ様となさる時、馬の鐙に片足を掛け、右手を鞍にかけて姫をふり返り、綺麗な長歌をお歌ひに、なる、次の様な意味の黒い着物を着て沖に住む鳥の羽撃する様にして胸を見たが、一向似付かないからやめて、又磯邊に馬を立てて、川蝉の様な青い着物を着て、又同じ様にして見たが、之れも似つかないので、山の畑に植ゑておいた茜をとつて染めた赤い着物を出して着て見たが、實に能く似合ふ。
 さて愛らしき吾妻よ、群鳥の飛び立つ如く、引鳥の引かるる様に、御身は別れても泣かぬと云ふだらふけれど、一人になつで山にある一本の薄、朝雨の霧の中に立てる一本の薄の様に淋しいだらふよ、若草の妻のみこよ
 と實に巧な美しい譬喩ではないか、さすがの須勢理姫も遂に我を折つて八干鉾の神よ、君は男であるから求むる儘に美しい女がいくらもあサませう、然し私は女であるから、君をおきて男はない、君をおきで★はない、どうぞ逃げずにおやめ下さいまし二人で仲よく暮しませう
 と、否之れ處でない、もつと強い意味の歌をお歌ひになつたので仲直りが出來たとか。薄の話が飛んだ横道へそれたから又元へもどる。
 薄は古代から屋根を葺く料とし使はれてゐる、山村の茅屋は非常に趣味のあるもので、殊に薄の穗が白く靡いてゐる中に、一軒の農家があつて、軒端には柿の葉が紅葉して、金色の果實が秋の夕日に照され、後の雑木林には蜩が鳴いて居る等は丹波等に多い景色であるが、自分は之れが純日本的の風景であらうと思ふ。
 晩秋の野は實に荒涼たるものである、稻田は刈ぢれ、美しかつた花も枯れ、落葉樹の葉は落ち盡して、鳴く虫の音も何となく憐れに聞える、梢を鳴らす木枯の風が、蕭々として尾花の上を渡る時、ああ此時こそ眞に淋しみを感ずる時である。(九月十五日)

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