寄書 飯山素絢畫會記録抄録(支部委員報告)


『みづゑ』第五十六 P.24
明治42年11月3日

 明治四十年五月五日同志二三と語らひ水彩畫の研究を目的としスケツチ會なるものを組織し、同日森本香谷氏の寓居に於て發會式を擧行せり、爾來入會者續々申込ありしを以て、研究所を飯山中學校圖畫室に移し、左の内規を定めたり
 一會員、中學生の入會者にありては三學年以上の者たるべきこと
 一會期、毎月第一、第二日曜日に開會し午前は主として静物の寫生をなし、午後は郊外の寫生とし、随時作品の互評會を開くこと
 以上の各項を議定し、次て幹事の互撰を行へしに、岡登貞治、石田次郎の二氏當撰せり、同日入江木堂氏の撰定を請ひ、會名を素絢と命ず。
 同年九月廿七日より二日間、本部教育品展覧會開催を機とし、會員の作品八十余點を陳列し、こゝに第一回繪畫展賢會を開きたり。
 四十一年三月廿五日、韓事岡登貞治氏は美術學校に、同石田次郎氏は早稻田にいつれも入學上京に付、本會外部會員とし、市川淨、小林重治の二氏代て幹事に就任す。
 同年五月三日、本會創立一周年紀念會を圖畫室に開き、内外會員の作品四十八點、參考として丸山晩霞氏の作品數點を陳列し來賓の観覧に供せり。
 同年七月廿日より五日間、信美會と聯合繪畫展覧會を、飯山小學校に開催せり。出品畫ば大下、丸山、河合諸氏の水彩畫十數點、信美會員の作品水彩書四十一點、日本畫二十點、本會員の作品六十三點を陳列せり。
 四十二年三月廿日、幹事市川淨、同小林重治の二氏いつれも上京に付、本會外部會員に列し、宮本奨、岩上行秀の二氏代て幹事に就任す。
 同年十月一日、日本水彩畫會本部との交渉就り、飯山支部設置の報に接せしを以て直に内外會員に此旨を報告す。
 以上本會沿革の概要とす、之を要するに、本會は嚴整なる規約を設けす、極めて平易なる同趣味の團體なれば、常に和氣靄然たるものおり、展覽會其他諸雑費の如暑は、主幹に於て其大部を★擔し、其他は、作品の賣却代、或は寄贈金等を以て之を支辮せり、目下會員は、内部會員二十二名、外部會員十名、いつれも研讃に怠らず、其成績の如きも漸次見るべきものあり。
(支部委員報告)

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