寄書 イツタ、カツタ、ダツタ集(鎌倉)

阿彌陀生
『みづゑ』第五十六
明治42年11月3日

 痛み入つたのは
△小島烏水先生のわざわざ御來遊の上、貴重な御話をして下さつて、また其上に御士産を澤山戴いたこと
△三條公爵ほ夫人と共に二度迄も會場べ御出下さつたこと
△『オヤ此書物は起つたり座つたりして輪廓をとつたのですか』『このビール壜はツヤケシにしましたね』ナンテ先生の皮肉的御批評
 お可笑かつたのは
△小林君の踴り、あの低い圓い勇體を一層低くして腹の顔をいろいろに表情姿勢をとらせた御手際
△丸屋の前で鎌倉ツ子と田舎ッ子との喧嘩『ヤイこの肥取りの田舎ツペイ、來られるならコヽ迄來て見ろ』『何んだコノ餓鬼共!テメイ達は石イ持つてゐるから危ないから徃かないんだぞ』一方が勇を皷して進むと一方は逃出す、また盛り返す
 欲しかつたのは
△両先生の御作一枚宛
△由井ヶ濵で照つけられた時、氷水一杯
 恐入ったのは
△透視畫法の違つた建物を描いて一寸先生に強情を張り、それなら★實地に比例をとつて御話されて成程!
△會員某氏の大天狗、多分御自身で覺えがありませうね
 嬉しかつたのは
△ドーにもコーにも仕末が出來ずテコズツて困つてゐる時、靴の音がして先生の來た時
△先生達の快活であつたこと
△いよいよ紛失と思つた大切の先の切れた筆の出たとき
 悲しかつたのは
△言はずと知れた講習が終つて先生達や會員諸君に別れるとき
△何故自分ばかりコー下手だらうと思つたとき
 驚き入つたのは
△繪を直して下さる先生達が、チユーブに半分程もあらうといふ澤山の繪具を筆の先へつけて大膽に描かれることで、中にはヒヤヒヤしてゐたのもあつた
△小島仙松君の朝鮮の『驚いた話』はネツカラ驚くに足らんことばかりなので却て驚き入つた
 残念だつたのは
△オトツサンの有名な講談を一度も聴かなかつたこと、去年來約束といふのに怪しからぬオトツサンではある
△ゴセン上等の納札を目つけて、剥がさうと思つたが何分高い處で手が届かず、三脚の上へ乗つてもダメであつたこと
 口惜かつたのは
△見物人が僕の繪を見て『アツチの人の方が上手だね』と言ひ捨てゝ起ち去つた時、何だい下手だから講習に出て來たのだい田會者に何がわかるものかい!
△ツイ寝坊をして、先生が御飯前に寫生にゆかれたのを知らずに居た朝
 苦しかつたのは
△江の島からの歸りに電車の満員立往生
△由井ケ濱からの歸りのスキハラ
△たゞさへ暑いのに見物人に二重にも三重にも取巻かれた時
 厭だつたのは
△朝早く起きるの
△寫生中學生風の人間に後ろに立たれたとき
 奇抜だつたのは
△片桐君の聲
△宮崎君の笠
△佐久間の靴下
△中山君の寫生箱
△湊君の首手拭、その他(完)

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