美術談義 地方の研究家
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日
東京に居る研究家には其研究上に諸種の便宜あれども。地方に在る研究家は此利益を有せざれは技の進歩にも影響し其他にも幾多の不便あるべし。併し東京の者とても。現在の有様にては地方の人が思ふ程に充分なる便宜あるには非らず。日本の洋畫は未だ幼稚の域を脱せずして。何事も西洋を手本となすにより。
畫家專門の人々とても皆一度は西洋へ出掛けて修業し。若くは後來出掛けんとして居る實際の有様なれば。凡て目的とする處は西洋なるが故。同じく日本に居て研究するとせば。東京に居らうが田舎に居らうが五十歩百歩なり。云はゞ洋畫は輸入品にて。東京が問屋の格それより各地方へ捌くやうなる姿なるが。問屋の手を借らずとも直輸入の途も亦乏しからず。今や英米獨佛伊其他の諸國にて發行する美術雑誌は元より。各種の印刷物參考書等に到るまで其種類中々多く。之は東京の丸善の手にて容易に得らるゝものなるが。廉價なるものは個人にて購讀すべく。高價なるは一地方にて組んで購入するも可ならん。海外へ一歩も蹈出さずして西洋の美術壇と連絡を保たんとせば此雑誌學問より外に達なく。又た彼地を實地に見たる人々の見聞を求めんことも亦有益の方法なるに相違なしと雖も。之は其實見者の意見次第にて飛んでも無い間違も随分あることなるが。雑誌にては此憂も★なく。又た日に月に進歩する彼地の名作の俤をも親しく見るを得て大に研究になるべし。畫は目にて其物に接すること故。外國語を如らぬ人にても分からぬと云ふことなし。無論外國語を多少にても知れば此上の便利なければ。禾だ外國語を學ばざる人あらば傍ら之を研究するの要あるぺし。良師なき地方とても。此頃は通信教授の途もあれば別段の不便なかるべしと信ず。假し全く外國語を知らぬとても。随分洋行する畫家にて外國語の充分ならざる人又は全く出來ぬ人さへあれども。畫の方は彼地にて充分に修業し得ることなれば。此點は人々の心掛次第にて宜るべし。
地方の研究家は。何事にも先づ不便と戦はざる可からずして。之は甚だ損のようなるも其實は反つて我得なり。種々苦心して研究すれば。それだけ人よりも多く登明する處あるべし。畫の研究は必ず人のする通りにせよと云ふ注文あるにあらず。名々の勝手なり。此くして初めて他を凌ぐべき新機軸をも得べきなれ。日蓮上人が深く自ら修養して前人未知の佛理を解し。牛若丸が鞍馬山に籠りて武道の奥儀を悟れることも之皆人を師とせるに非らず。我熱心の感應と見るべし。
殊に地方の研究家は。俗塵を離れ深く自然に接することを得るの利益あり。此頃の東京は雑風景無風流。只錯然として何等の美なく何等の調なく。全く美術家の棲むべき地に非らざるを思はしむ。故に此中に不愉快なる日を送くる者は時々遠く市外に去て自然の粹に親しむを以て無上の樂となすことなるが。地方の人は居ながらにして自然の懐に安んずるの感あり。
僻遠の地にある研究家諸君。必ずしも不便を嘆ずべき時にあらず。隠れて充分に修養し。表はれて大に都人を驚かし給へ。金剛石は常に都に遠き僻地に見出さるゝに非らずや。