水彩肖像畫法[三]
夢鴎生
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日
衣服は肖像畫に對しては顔面を除いては甚だ大切なものである。衣服は年を追ふにつれて變遷悪し行くものである。現代の人には現今の衣裳を最完美なものであるとして古代の風を笑つてゐるが、將來幾十年の後には現代の人々が笑はれる様になるのである。
人々の好もあらうが、まあ大抵は肖像畫の衣服は畫家の嗜好と撰擇とに任せるがよい。左なくとも少くも畫家の意見をきくの必要はある。
こんな話がある眞偽は保証は出來ないが、或る金満家の妻君がサー、ジヨニア、レイノルヅの許に行つて、自分と夫の肖像を描いて呉れと依頼をした、そして一番費用の多くかゝる彩色は何でせうと問ふた、レイノルヅはオルトラマリンとカーマインですと答へた、すると其の妻君はそれでは私の着物をばオルトラマリンで夫の衣服はカーマインで彩つて下さいといふた。
ヴアンダイクやルーベンスやレンブヲンド。ウエラスクス。ムリロ。コレツチ等の大家は、一般に婦人又は小兒の皮膚に近く白色を配した事は観察し得られる。サー、ジョニアは、婦人又は小見をば、白色のモスリンでか又は暖き調のニユートラルチント色の輕き衣裳で仕上げるが好きであつた。
概言すると、ヴアンダイクはレイノルヅよりも餘計に陽の色を用ひた、されば三原色なる、赤、青、黄及褐色又は鐵棕色等の如き第三色を用ひる事が多く、緑や赤紫色を用ひるは少なかつた。又スカーレットに近い位の橙黄色の衣服を描きてそれに青を對照させたこともあつた。青は婦人には相當はしい色であるが、こんな寒色の多くを使ひこなすことは初心の畫者には因難な仕事である。
サー、ジヨニアは、一の畫中での明るき大部は暖かき、飽ける種類、即ち赤とか黄とかあらねばたらぬといふてゐる、ところがこの説を反駁する爲に、ゲエンスボローは『青衣の小供』なる名畫を描いた、この畫はクロスベノル。ガラーリーに藏してあるが、小供と等身の大さで、青き儒子の衣服をつけて、暖かき奥深き褐色に圍まれたるものである。
或る畫家は、此書は慥にサージヨニアの意見を碎き去るに充分であるといふ、サー、テー、ローレンスは、一部分は打勝つてゐるが・全盤に於ては左様はいかぬといつてゐる。
ヴアンダイクは、皮膚の次ぎにはリンネンを置いて、ワームブラウンと青との對照を作り、後次第に赤とか、琥珀色とかの窓掛とか、椅子とかを繪面に加へ、第三次の色の衣裳等を描き加へた、かくして暖色と寒色との平衡を保ち、全體をば暖調のブラウンとグレーとの調和を得た。
又屡、頸の周りに鐵棕色の頸布を描いたことがあつた、これは肉の色を引き立たせる考へであつたらう。レンブランドは黒い衣裳が好きであつた、この黒衣が形の上方部分に光を集めるのに都合艮かつたのである。
採光
畫室に光線を入るべき窓は、蔭影を下方に作らしむる必要があるから、床から少なくも六尺なければいけない。サージョニアの畫室の窓は床から九★四吋ある、抽手で自由に上下し、又固定し得る装置の窓扉があれば便利である。光線は最も大なる幅さを出來上りに與へる様な方向から、被畫者の顔面へ投射するやうに入いらなければならぬ、若し又、被畫者が一方に坐して、光線の來る方向べ顔を向けたとしたら、鼻の蔭が最深く出來て適當なる高さを示すことが出來る、こんな姿勢をとつた時は、暗いバックが必要だ。そして顔の蔭を柔和にするのである。
畫者の左から光線を探る様にするはいふ迄もない事である。
形の素描
正確なる輸廓は最大切で、畫の基礎であるから、これがためには如何なる因難でも堪へて描かねはならない。不正な線を消し去る爲めに紙を汚損するといふ心配があるのなら、別の紙で素描をするが艮い、そして其を引き寫しするのだ。
最初に頭の傾きを示す線を引く、眞正面ならば其線は垂直であるが、側面向ならば少し曲線になる、次に前の線を正しく直角に横ぎる一線を引く、その上に眼が出來るのである。それからこの線の下に一線又は二線三線を劃する、そして鼻、口、頭の位置を定める。
こんなのを基として形をとりはじめる、位置と割合とを違はぬ様に、透視法にも當てはまる様にして、且つ眞の形と發情とを失はぬ様に注意する。
素描が仕上がつたなら、鏡の前に其を持つてくる、位置が裏反へしになるから不艮の素描は直ぐに判かる、そして又訂正をする。
素描が完全に出來たら畫紙へ引寫をする。