美術展覽會に於ける所感

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日

 ある日、文部省美術展覽會の洋畫の室に四時間あまり居た、四時間も居るといろいろな知人に逢ふ、襟に紅い徽章をつけた審査委員といふ人もある、海外に長く居た鑑賞眼の鏡い人もある、奇矯の批評をする人、穏健な説を吐く人、さまざまである。私はこれ等の人々と共に、幾回となく陳列の繪の前に立つて、銘々の所感をきいた。
 今度の展覧會には、格別群を抜いた繪といふものがない、從つて評家の説も區々であつた。こゝにAの畫いた繪がある、私はそれをよいと思つた、Bなる評家と私と同意見であつた、然るにCなる評家は全然反對で少しも佳い處がないといふ、此人は故らに私に反對したことを言ふのではないかと思つた、また、私には繪を判ずる力が無いのかしらと悲観された、併しBといふ私の同感者もある、さればCと意見の異るのは、趣味の相違であらうと考へた。
 更にDといふ人の作がある、私はさして佳いとも思はぬが、さればとて惡作とは考へなかつた。然るに、此繪に對してEといふ評家は、少しも佳い處がない、特に此點が最も悪いと、繪の一部を指して、其惡いのは、色のあまりに復雑に過ぎて却つて統一を失ふた爲めだと言はれた。時過ぎて此繪の前に立つたFなる評家は、場中の佳作であると賞揚した、そしてEが惡しゝと指摘した點を指して、實によく自然の色を寫してある、この色あるがために此繪が一層よいと、大に賛辭を呈したのであつた。
 E及Fなる評家は、共に長く海外にあつて繪を學んだ人である、そして其鑑賞眼も、決して劣り勝りのない人達である、そしてまた、此繪の作者たるDに對して、恩怨の少しもないと思はるゝ人である、E及Fその人は、最も公平と考へる批評を下したのであつて、自分の嗜好や贔屓を土臺として、其意見を述べたのではないといふことは、當時の態度がよくそれ日を示してゐた。
 この公平にして學識ある人々から、全く正反對の評言を耳にした私は、大に迷はさるを得ない譯である。最も傑出したる製作か、最も劣等の作には、かゝる矛盾したる批評は起らない、されど、中間の製作には、観者の意見の一致し難いものであつて、其一致しない原因は、必ずしも其人々の、主観的の好惡とか、趣味の相異とかいふもののみでなく、繪といふものに對する、即ち美といふものに對して、根本的解釋の相異もあるのであらう、從つて繪畫の艮否の如きは、容易に斷定さるべきものではないと思つた。
 畫家の製作に對し、世間に同感者が多ければ、即ち其繪は傑作となり、其作者は大家とよばれる、併し其時代に同感者が多くとも、何處かに反對者もあらう、時代の思潮が一變すると、★日の成功者は、或は世に忘られるかも知れない。世間一般から認められない畫家の作にも、必ず多少の同情者はある、その時代には失敗者であるが、次の時代に、或は大家の號を追贈せらる』かも知れない。かゝる例は、内外共澤山ある。要するに、一時代を以て畫家の事業を判斷することは出來ぬ。
 たゞ吾あるのみてある。このやうに、根本の意見さへ一致しない美術批評家の言にきいて、何の傑作が出來やう、彼等の言は、宜しく參考として輕く聴き置くべきものであつて、結局は、自己の信する處に向ふて勇進するより他に法はない、藝術の極に向ふ道は、數多く且廣い、其何れを選ぷとも、極に達しさへすれはよい、捷路もあらん、迂路もあらん、迂路をとりし人は、捷路をゆく人よりも一層の勞多からんも、其勞は決して徒にはならない。
 今度の展覽會には抜群の繪のないことは前にも言ふたが、其中で目についたのは、和田英作君の描いた『角田竹冷氏の肖像畫』である。この繪は、ケワケワしい『幕間』とか『渡舟』とかいふ畫の間に在つて、淋しい色の引立たぬ繪ではあるが、何となく重味があつて、眞面目な、誇張のない、忌味のない處が大に氣に入つた、場中を通じて私の一番好きな繪であつた。此繪の傑作であることは、獨り私が左様思ふのみでなく、岡精一君も、渡部審也君も、石井柏亭君も言はれた、この日、私の會つた人達は、皆この繪を佳いと褒めてゐた。
 有體に言へば、近年和田君の作に、心から敬服するやうな繪を見ない、然るに、偶々佳作に接す、私は何だか拾ひ物をしたやうな氣がした。後、休憩室で、親しく和田君に逢つてこの繪の出來た由來を聞いて、其成功の偶然でないといふことを悟つた。
 和田君の語る處によると、ある日角田氏を訪ふべく市廰へ往つた、すると角田氏は、卓の上に市區改正圖を擴げて何か考へてゐられる、其姿勢、其周圍の色調、それ等はすべて面自いと思つた、角田氏は自分の俳句の先生である、市區改正といふ事業は、角田氏にとつて一番大切な、また一番成功した事業である、この光景を繪にして、氏に贈らうと刹那に思ひ定め、それから數ヶ月を費して此繪が出來たのであるそうな。
 其人の事業に敬意を拂ひ、師なる人に贈物にせんとして此繪の製作に着手したその動機は實に美である高潔である。而して、其製作中の作者の心裡には、金銭もなく名譽もない、此繪によつて數百金の報酬を得んとするの慾もなく、展覧會に於て世人に誇らんとするの野心もなく、實に一點の俗氣なく、たゞ其人を寫し出さんとふ精紳のほか、何等の心を動かすものがない、實に清浄の筆によつて此繪が成されたのであつて、こゝに看る人を動かすべく、其誠意が現はれたのも偶然ではないのである。
 製作の動機及、製作中に於ける作者の心裡の状態は、實に其作品に影響すること大なるものなることは、和田氏の例がよくそれを示してゐるが、私は此展覧會に於てなほ他に一の例を見た。
 甲の畫いた静物畫がある。その繪は組立に於て實に苦心を拂はれしと覺しく、バツクの布、器物、其他繪としての注意はよく行届いてゐて、其上色彩は、最も華美な快よい色を集め、大膽らしく氣の利いたブラツシは勢よく働いてゐる。此繪に對すると、其作者の才筆の凡ならざるに先づ驚ろかされる。
 それに隣して、乙の描いた静物畫がある。その繪は、組立に於て何等の奇を認めない、バツクの色もうすぐらく、器物もそこらに有合せのものに過ぎぬ、色彩もあまりよくコナレてゐず、筆の力の鈍い、極めて平凡の繪である。此繪に對すると、作者はたゞ後生大事に、静物をコツコツ畫いたといふだけのことで、一寸見たのでは格別の刺激も受けない。
 此二つの繪の前に立つて、審査委員中、最も鑑賞力に富める某氏は、私の肩を叩いて、『君どう思ひます、甲君の繪は、御客様を目的で描いたのだ、展覧會の見物人が目的だ、適切に言へば、賣約濟の札が目的だ。乙君の繪は、静物に惚れて畫いてゐる。目的は静物だ、静物をよく描き出そうといふのが目的で、それを可なり達してゐる。我々もどうか、自分の描くものに目的を置いて緯を作りたいものだ』と言はれた。
 製作の動機、製作中の作者の心裡状態、これが其製作品に覿面に現はるゝといふことは、疑のない事實である、吾々は、かゝる點に深く注意を拂つて、いつも高潔なる感情のもとに、製作に從事したいものである。

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