圖按法概要[九]圖按の流行と嗜好及習慣
比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ
比奈地畔川
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日
奈艮朝時代には、意匠司なるものがあつて、繪畫彫刻室内装飾及一般の工藝美術のことを司つて居た、特に有職模様などいふ一定された色彩及華紋が作られた位である。平安時代には、意匠家のことを「のりて」と云ふて盛んに意匠装飾の事を司つた。それから年代を追ふて種々な時代を飾るものが出來て、徳川時代などには光琳一派のやうな大意匠家大藝術家が出た、それが明治の今日となつて、盛んに泰西の文物を輸入する、かゝる文明の推移は一方から見れば欣ぶべきものである、けれども一國の美術は混亂と模擬とに陷つて識者の眼からは一顧にだも價せぬものが一般に風靡されて居るといふ有様である。要するに、一國の光輝ある美術は必ずしも一國の歴史を飾るべき特有的遺傳的のものでなくてはならない、たゞ材料に付て云ふのではない、其手段と目的とに付て云ふのである。
假令へば、一建築に付ても其例証を示すことが出來る、欧米洋風の建築を日本に於て立てたにしても、到底欧米のそれを凌駕するやうなものは出來ない、出來たためしもない、我國史上有名なる鳳鳳殿、桂の御所等の建築には、一瞥をも下さぬ現今の有様である。今國粋保存呼りをするのではないけれども、自家根本の善美なるものを基礎として、現代の代表たるべき新意、他の模倣を待つことなくして、最新の學理より自國特有の美を發揮したるものを作り出さなくてはならないと思ふ。
一般の多くは、現在の酒の甘さに醉ふてそれに満足しそれに誇つて居る、けれども其が覺醒の曉には決して自己の撞着を悟らずにはおられまい、現代の混亂・模倣時代も必ず個國美を發揮する時が來なくてはならぬと信ずるのである。
一圖按一意匠に付ても然りである、一工藝輸出品などでも、自國特有のものを資料とし材料として欧米其他に風靡することよりも、泰西諸國のあるものを模擬して其間の利益を得んことにのみ着目して、果ては粗惡の製品に幾多の信用と地位とを下しつゝある有様である、各國人の嗜好と習慣などに着目する必要は大ゐにある、けれども此間の消息はよく解さなくてはならない。亦日本は初め支那の文物を盛んに輸入した爲、古來から一般の風習が支那的で、陶器、磁器、金屬品、織物、染物等に至るまで大ゐに支那的の趣味が横溢して居つて、一般の意匠圖按に應用されたものが多々ある、これなども賢明なる時代の人々が、尚此風習に慣ふことは、恰も自家の米の飯を欣ばずして隣家の麥飯を欣ぶが如きもので、聰明なる人のやる仕事ではない。要するに自家特有の趣味特有の技能の發揮を忘れて美術も工藝もあつたものではない。
一體圖按意匠などの流行は、年代と共に繰返すものであるといふ或はさうかも知れない往昔流行したものが世間の人々に忘られた時分に多少の新粧を凝して世の中へ出るすると、奇を好む一般の人意に投合して一時流行する(例の元禄模様及芦手模様などの如き)流行するけれどもかゝる流行は決して長く其價値を保つことは出來なく忽ちに市上に評價を落してしもふ急早に流行したもの程急早に廢れてしもふ、形状模様色彩などに付ても同様である。
然し、吾々は一概に流行なるものを排斥するのじやない、一國文明の推移と趣味の向上などいふ點からみても、一國上或は一社會上に流行なるもの、生れ初め擴がり行くのは、人種の特性上からみても決して免かれないことである、けれども流行そのもの、有標は、前述の通り時勢に竪みて自家の特徴を發揮したもの、特有の根底から出來上つた善美なものであり、時代を代表し後世に貽すに足り、兼ねて欧米のそれに對照しても人後に落ちないものでなくてはならない。これをみても、繰返しや模擬やから來た一時の流行は一顧の價値もないことが分る。
前の言は一般から視た廣義の流行であるけれども、今狹義の流行とも云ふべきものが圖按界必要の條項であることを忘れてはならない、それは時候の變遷によつて形状及色彩の上に及ぼすことである。或に流行と云ふと少しく語弊があるかもしれないけれども、これは自然的にかゝる傾向を生じて來たのである一例を云ふと、嚴冬の候と盛夏の候との色彩の嗜好は、一方は濃厚に一方は淡白である、一方は繁雑で一方は瀟洒でありたい、丁度此二大別は、冬模様と夏模様との區別をなすのである。
次に嗜好習慣からみた圖按は甚だしく相違の點があつて、恐らく圖按意匠などの發達は、實に此二者か最大原因を成すのかもしれない、一國の圖按の沿革系統などを見ると、直ちに其國人に接する思ひがして、其一國人の風習性質人情などを知ることさへ出來る、國民の性情がそれ等を支配して、自然陶汰の上に及ぼす影響は實に大なものである、此自然陶汰といふ上からみても、?々前述した通り一邦國民の性情と特技といふことは、一般の美術家工藝家の一時も忘れてはならない事であることがわかる。彼の佛國人が色のクスミたる澁味あるものを好み、形の角ばらぬを可とし、英國人は色の豊麗明快なるを好み、形の角ばりたるを可とし、支那人が極端に濃厚煩雑、色彩も極端なる絢★を以て最上とするが如き、宴に其特習特技である。また我國人は、圖按の上に理想的雅美的なものを愛し、内容は古歌の意を取り、或は故事を拾ひて、一事一物に付ての故事來歴あるを愛し、客観的描寫では満足しないやうな傾がある。泰西では將にこれと反對で、精致なる自然より得し描寫で満足して居る、そして色彩なり形状なりが華麗で煩雑である。我國人に、實に此等との正反對に、淡白瀟洒なるものを好むのは最も面白い對照だと思ふ。無論、吾々は此二者の優劣や價値に高下を論ぜない、論ずべきものではない、これは各其特技特質として益々其發達向上を計らなくてはならない。
それから今一つは、宗教上或は一國の習慣上嗜好上等から來て居るもの、或は迷信から來て居るものに付て、模様色彩の上にまで及ぼすものが随分とある、これ等も圖按家の心得ベきことであつて、殊に輸出品などに用ふる意匠には最大の着眼點であつて、輸出品の消長に迄關するのである、殊に支那向輸出品として此注意を要するらしい、純正美術に於てはかゝる余分の注意は不必要なれども、工藝美術に於ては余儀ないことである。(禁轉載)