寄書 秋田縣の風景
緑葉
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日
十和田湖、男鹿半島、八郎湖、田澤湖、干秋公園、其他紅葉に名高き院内の連山等、一として好風景ならざるばなき縣下の名所は今や世間に紹介せられつゝある、秋田縣は古來より數多の好風景を有する國なれど、交題の設備甚だ不完全なるが故に、他國人は此と知りつ、其實景の如何を探ぐるを得ざりき、然るに今や交通機關運送の便等全く整ふるに及び他國人の入り來るも愈々繁く、從つて土地の物産、風俗、人情、風景等、漸く天下に廣まるに至りしが未だ畫家諸君に美景國たるを知られざるは余始め縣人一般の遺憾とする所なり、依つて★か拙文を綴りて其主なるものを諸君に紹介せんと欲す、されば諸君よ、好時季を期して遊覽されん事を乞ふ。
十和田湖は縣の北東隅鹿角郡十和田山中にあり、周圍凡そ十餘里、火山湖にして數多の灣曲あり、湖水清澄にして練鏡の如く、深さ三百尺に及び、幽??氣を極め、奇岩怪石の間には、老松欝蒼として生じ、風光大に佳にして、夏季に至れば外人の避暑するもの多く、秋に至れば紅葉を賞するの人杖を曳くこと★からず、且つ湖中よりは鱒鯉等の魚獲多し。
男鹿半島は、秋田縣南秋田郡にあり、日本海に斗出せる半島なり。中央丘阜連亘して、舊火山なる寒風山其間に聳ゆ、海岸の勝區に其西海岸にあり、船川より船に乗り門前を過ぐれば、漸次海中に高く聳ゆる岩あるを見らるべし、これ名高き帆掛島にして、?々畫家の手になれる歴史附きの岩なり、漸く進むに從ひ奇巖怪石の横はれる景、亂石の半ば倒れ半に立つ、慨れ所謂男鹿三十三島にして見て始めて其壮嚴美観たるを解さるべし、此を一週するを島巡りと云ひ、大低六七八の三ヶ月、殊に入梅の季節を最となす、この頃は北海名物の怒濤もなく、海上油の如く静かなればなり。
八郎湖は縣西北海岸にあり、山本南秋田の両郡に跨り雄鹿半島其前を擁す、湖中淺しと雖も、風景絶佳にして、湖内至る所好スケツチ場ならざるはなし。
千秋公園は市の中央秋田城跡にあり、櫻、及び紅葉を以て名高く、其時季に至れば、紳士淑女足を停むるもの甚だ多し、縣外人云ふ之れ東北第一の公園なりと。
田澤湖は、縣の東部仙北郡生保内田澤村にあり、周圍約三里、四方山を以て挽らし、駒ヶ嶽最も雄なり。湖水清透にして遊魚數ふべく、倒さ樹、蓆石、白濱等の勝景あり、白濱に水底一面に白砂にして美観形容に絶せり、就中秋の景を第一とし、紅葉を観るの士女最も多し。(終り)
編者は此種の投稿を喜ふ。讀者諸君、各自自己郷里の名勝を正直に紹介されよ、而してそれに到るべき道程、交通の模様など記さるれば猶結構。緑葉氏は本文に添えて數多の繪葉書をも寄せられたり、好意多謝。
又曰く田中子爵の實測によれば十和田湖の水深は三百二十七米突、田澤湖は三百九十七米突にして日本第一の深さなり