寄書 雜感

栗本生
『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日

 何人と雖も人よりほめらるれば嬉しく、罵らるれば怒り、可笑ければ笑ひ、悲しきときは泣くは是れ世の常なれ共、これ等につきて余が經験せしうち最もよく喜怒を遺憾なく表はすは繪畫に如くものなし、試みに一日畫架を構えで郊外に赴かんか、天は高く氣淸く、萬象笑みを含んで生等を迎へん、この時の感想は如何ぞや、畫架に向び寫生を初む、人あり來りて之を観る、偶々苦言を弄するを聞かば、如何に誰か怒氣心頭に發せざるものなけん、寫生成り携えて家に歸り、家人に之れを示し、美の微妙に感嘆し賛辭を呈すの時は轉た手の舞ひ足の踏む所を知らざるに至る。
 余や幼より繪畫を好めども、筆を弄ぶの機なく、白駒は矢の如く去り、生を受けてより、星霜既に人生の半ばを過ぐ、偶々一小機會を得て、本年三月初あて繪筆を握り、公務の餘暇寸蔭を盗んで郊外に遊び、自然の靈妙を味ふ、日を經る毎に趣味の津々たるを覺ゆ。
 畫成れば喜び、失敗に終れば嘆く、人あり欠點を指摘して批判を加ふるあれば、不知柳眉の動くを、之れに反して、稱讃するあれば快感極まりなし。
 良師なくして研究上に不便なるは深く遣憾なり、八月水彩畫會の會友となり、毎月大下先生の批評を受くることを得たりこれ恰も暗夜に燈火を得たるの感ありき。
 猶ほ旦つ生等初學者をして長大息を催さしむるは肉筆の臨本なき此の一事なり、常に印刷物の不完全なるもののみ模寫して、色彩に於て構圖に於て常に不可解に終る。
 今朝在仁川のSS氏より大下先生洋行中寫生せし肉筆を拝するを得たり、余の感想筆紙に盡し難し、直ちに借り來りて摸寫を初む、午后臨畫粗ぼなる、成功して快感★舞するや、失敗に歸して悲歎するかは、余の期して語る能はざる所なり。
 並びに駄辭を連ねて諸氏の友情篤き指導を乞ふ
 栗木君よ君はまだお若い(編者)

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