報告


『みづゑ』第五十七
明治42年12月3日

 僕は毎月新刊の『みづゑ』を手にする毎に彼の水彩畫研究所の舊校舎で泰然として長髯を振ひし昔を偲はれて今更恥かしく感すうと同時に又會員諸君より大に同情を寄せられしを感謝して居ちのであるそして今は遠く四百里余を隔てゝ東天を眺め居るの境遇時々は二十六號を取り出して同窓諸君の當時の模様を思ひ返すのであるが一別以來は健全にて不及ながらも斯道の爲め一歩々々の發展を圖り以て諸先生始め同窓諸君に對し万分一の報恩に代へたしと祈り居る次第である。
 駄語は叱言の出ぬ内に止めまして本會開催の模様を大畧紹介します
 本會は去十月三十一日を以て生れたり所は九州宮崎縣宮崎町徳善寺(目抜場所)内にて門柱には「宮崎洋畫研究會第一回』との大札を粘附世られ目下會員十五名外に賛助會員名譽會員の方二十名許り其名譽會員は重に縣立中等學校の圖畫教師なり
 此日は初會の事とて準備まごまご開會せしは午前十一時なりき場内には參考品に大下先生作六點、河合先生作一點、其他二點、會員作品四十點を陳列せらる(會員の出品は一名二葉以上とし毎月最終日曜に本會場に持寄り批評をなすの規程なり)
 發會式終りて直に各出品畫に就き一々批評を加へて互に研究の參考資料となせり
 今回の開催を聞き傳へて學生となく老翁となく遠近より多少趣味あるもの共續々縦覽を乞ひ來るものあり妨害ならざる限り之を許可せり(年二回臨時大會を開き一般公衆の縦覽を詐す規程を設く)爲めに僅かに三四時間内に過ぎぎるも確に美的趣味を皷吹せしこと少なからざるべしと信ず午後五時閉會
 京都支部
 十一月七日午後一時より京都市裏寺町正覺寺に於て發會式を開く來會者五十有餘名會員名簿に各姓名を自署し終りて本會の規則を議了し夫より鹿子木孟郎氏の講話に次いで都鳥英喜寺松國太郎両氏の會員の作品に對する懇切細密なる批評ありて四時半散會せり(支部委員)
 彩管倶樂部展覽會報告
 信州中野町にては細野順耳、古田後十郎、奈良儀虎等主催となり聞同好者を會し、日本水彩畫會研究所長野支部及飯山支部と氣脈を通じて、專ら水彩書の研究を成すべく、彩管倶樂部なる者を組織し、其設立紀念として、十一月三日より三日間同地小學校内に於て水彩展覽會を開催せり。出品畫は大下、丸山、河合、大橋、松山、相田、赤城等各先生の作品を始め、東京本部の出品八十餘點、長野、飯山、両支部及倶樂部員の作品二百數十點外に油畫圖案等を合せて、之れを五室に陳列して一般の縦覽に供せり。當地にては、洋畫之展覽會に實に創始に屬すれば、観覽者頗る多く、何れも水彩畫の淸新なる趣味に醉ひたらんが如くなりき。尚開會中、目下湯田中温泉滞在中の丸山先生及飯山支部の森本先生も臨場せられ、其他水彩畫に筆を取る人々の來會するもの多く盛會を極めたり。尚閉會後、倶樂部員會に於て來年一月初旬を期し講師を聘して簡易なる講習會を開く事及、來年三四月頃第二回側展覽會を開く事を決議せり。(彩管倶樂部)

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