水彩肖像畫法[四]
夢鴎生
『みづゑ』第五十八 P.15-17
明治43年1月3日
水繪具を以ての着彩の方法は油繪具でのそれとは全く相異してゐる、油繪では光部の色に不透明である蔭は透明である、これに下塗をした色が乾いた上に他の色を彩どる、かくして下の色が上の色を透して見える、これが深味と透明とを示す、
水繪具ではホワイトを除く外は皆多少透明である、されど油繪具の如くに畫の地紙に附着することが緊かとして居ないから、一色の上に他の色を置いて透明と深味とな得るのは困難である、何故といふに下塗の繪具の中に含まれてゐるゴムが。上塗のれめに溶解して色が混合して仕舞からである。又一例を擧げやう、油給で靑、赤、黄を順に重ねて彩色したとしやう、乾けば三色の混じた色彩が現はれるも、此の色の順序をかへて又は赤を上にすれば前に異なる色が見られる、これと同樣に、水繪具で靑、黄、赤を一色つヾ重潤したとすると、三色が各區別されて混じて表はるゝ代りに黑色のものとなって仕舞ふ。されば水繪具を用ひて油繪の如き深味と透明とを得んとするするには三色を別々に用ひて、線描とか點描とかの煩はしき方便を探用せねばならない、三色原をかくして用ひた方が、混和して用ひるよりも輝がある、ルーベンス、ハガース、サージヨニア、レイノルヅ其他の大家は調色したる色を用ひずに、三原色を單獨に用ひて所要の色を出すのが常であつた、ルーベンスが筋肉を彩るにつきて門弟に示した方法は左の如くであつた。
『光部をばホワイトで畫き、次ぎに黄色を置き、次ぎに赤を用ひよ、そして蔭の方へは暗味かがつた赤を用ひよ、それから後で寒い調子の灰色に浸した筆で穩かに全畫面を蔽ふて所望の調子に和らげ美しくなるまで仕事をなせ、』
勿論これば油繪の描法についていつたのである併し言ふ主義にいたりては如何なる畫の描法に就いても同樣である。これよりいふ水彩畫法中に此の主義の顯はれて來るのがわかる、
點 描は筆の先端を使つて點を描いて彩色する方法である。
線 描は同じ手段ではあるが點の代りに線を用ひるのである。線描の方法は種々あるけれど、大抵の畫家は各自特獨の方法を知つて居る。
數回經驗した所では左に掲ぐる方法が良いと思はれる、
最初は畫面をば上端から下方へ並列して、確かとした短かき、幅廣き、規則正しき、且稍地平線らしき線で蔽ふて仕舞ふ、此時に線の兩端に點を殘してばいけない、尚出來るだけ筋肉の繊維の方向にも注意をする、一般にいへは額では水平に鼻では垂直に眼、口、顔の輪廓をば圏状にするのである、前に述べた點を殘さぬ樣にするには彩料を餘り澤山つけないで筆の下し、初めに筆を確かに壓し付けて、其の儘にして線の端まで運び行くのである、言ひかへると初に輕く筆を下して終はりに繁壓するのは宜しくないのである。
かくの如くして、一方へ平らに線をハツチしたら、次ぎには前に同樣の筆法で、前に畫いた線と筋違に線描をするのである。併し直角に筋違にしたり又は餘り歪み過ぎた線を用ひるのもまづいのである。
以上に述べた線描の方法に輕快な柔和な結果を生ずるものである。蔭影を畫くにハツチングあれば、深味を生じて、ウオツシなどでは到底得られぬ結果を生ずる。
尚一ケ條注意すべき事がある、夫は最初に傳けた色は輝あろ純粹の者たるべきことである、此は調子を弱める必要があれば、後になつてからいくらでも爲し能ふのである、一度他の色と調色してからは元の輝は回復し得られないのである。
着彩に就きて一般方則
若し人間の顔が凸も凹もない平面なものであるならば、定まつた肉色で全部を塗りつぶしさへすれば宜しいのである、所が顔には全く平らである所ば少しも無いのである。そこで光や蔭の漸減の度が無限に變化して來る此の光と蔭との漸減の研究は畫家の熱心に從事すべきことである、そして此の研究は色彩を有して居らぬ石膏像によりてするが良い方法である。自然と明部と暗部との方便によりて、一物から他の物を凸出させて見せる、吾人は常に明に對しては暗、暗に對しては明があるのを目撃して居る。戸外に於ける物體の影は、戸内に於ける揚合にも薄い。これ戸外では、天空とか、周圍とかの物からの反射があるが、戸内では光線に限りありて反射が著しくないからである。
逡のいてゐる部分は多少鼠色を帯びる。強き影は暖かでなければならぬ、肉の影ば常に赤味を帯びて居る、又肉の影の縁は鼠でなければならない。これが固くなるのを防きて豊富にする、反射を受けたる部分の肉は他の部分よりも一層暖か味を有せねばならぬ、影の最濃き部に縁から近い所にある、中央頃は反射の光りで濃さを減ずるものである。