圖按法概要[十] 第二章 模樣
比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ
比奈地畔川
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日
圖按法の一般理論に就ては前章其概要を述べ得たと思ふが、此章に於ては圖按の最大主要たる處のものであつて、一般装飾意匠の上に大部分を占むる模様に就ての説明である。
模様と云ふことに付ても、其根本からの發達の順序、各國變遷流行の沿革、或は其の系統分類などの仔細な研究をあげたらば、到底片々たる册紙のよく盡す處でない故、これは追つてお話する時もあらうと思ふ故、今は唯初學者の爲めに、一般模様を構成する上に必要なる事項に付てのみ、順次説明しやうと思ふ。が、其前に、我國の模様に付て粗ましの時代分けの表を示して置きたい、これは、最も有益なる且つ興味ある研究であるけれども、これもあまりに筆紙を要する故、參考の爲唯その年代表だけを示して、諸子の研究に資ずるのである。
上古時代至つて簡単粗朴なコロボツクルなどの遺品にある模様、垂仁帝以前、今の支那朝鮮などの交通の初まらぬ時代まで。
推古時代垂仁帝以後、三韓などとの交通が初まつて、織物陶器染物などの製法が傳はつて、殊に佛教の渡來した欽明推古時代へかけて、四天王寺法隆寺等、立派な寺院殿堂寳塔などの出來た時代、元明帝が奈艮へ遷都して、かの七大伽藍が出來て、著るしい彫刻、一般佛盟、佛具等の装飾の獲達せし佛教全盛時代。
奈良平安時代非常な佛教趣味の發達につれて、今は支那などの模倣で満足しない、畫工司などが置かれて、邦人の美術思想がやゝ個性的になつて來た時代、即ち藤原氏の全盛時代で、有名な才媛なども澤山出た一口に云へば絢燗優美な時代宇治平等院、鳳凰堂、及陸中の中尊寺などが出來た時代。
源平時代前時代と大差はない、平清盛が善美を極めて作つた、三十四巻の嚴島へ納めたと云ふ經本の出來た時代(其經本の意匠模様は識者の珍重する處のものである)。
鎌倉時代鎌倉時代は政権が武門に落ちた時故、一般の人情の活?勇壯な時である、それ故工藝品迄其感化を受けて居る、時代蒔繪と鎌倉彫と稱するものが大流行した時代。
北條時代質素倹約を重した時代故、装飾意匠上には著しい發達がなかつた、畫家の側には、藤原土佐住吉などが出た。
足利時代足利氏の奢侈を極めた時代、金閣寺銀閣寺などを作り、有名な茶人なども出た、繪畫彫刻蒔繪などにも見るべきものが多い、高雅清楚の趣は此時代の特有である、所謂東山時代である。
豊臣時代所謂桃山時代である、豊公一代の豪華を極めて、聚樂及桃山御殿などを作り、美術工藝家に特に名構を賜はつた位である、一口に云へは、豪壯濶達とでも云ふことが出來る、北條以後の鎭静の姿は、再び此時代に隆盛になつたと云ふてよい。
徳川時代徳川時代は實に治平二百六十年で、我國美術文學の精華を盡し、最も多趣味にして、實に前代無比の壯觀を極めた時代である。
現今の美術工藝も、概ね此時代のものを模範として居る有様である、此時代には、江戸に繪畫、蒔繪、金屬、彫刻などが發達し、京都には由來美術の淵藪として、織物、染物、刺繍、或は蒔繪、陶磁器、假面、金屬の彫刻等、あらゆる美術工藝品を網羅して居つた、それ故どちらかと云へば、単に模様としては京都の方が勝つて居つたと云ふてよい。
徳川時代の全盛期は、五代網吉の頃、即ち元祿に於て其全盛を極めた、これを徳川時代の中心とする、前は寛永時代、後は文化文政の頃であるが、天保以後は世の中外が騒がしく、全く美術工藝は萎縮してしもうた、江戸城日光廟などが名ある建築である。
亦茲に特筆大書すべきは、大意匠家として光琳一派の出たことである、光琳に付ては今更ら事だてゝ云ふの必要はない、美術家工藝家も非常に多いけれども、恐らく模様とか意匠とかの上に就てこれ程の人はまづ空前絶後と云ふてよからうと思ふ(光琳の畫に付て純正美術と工藝美術とに付ての論議は暫く措いて)其他、浮世畫派、四條派、及狩野派等も、模様意匠界には多大の關係を有し、此時代華奢風流な社會の嗜好に鷹じて、其精粹と絢燗とは、唯に當時の總てを飾つたのみでなく、今に後世の參考として、非常に有價値有益なものである。
現代こう數へて來て現代の模様意匠界を視ると、今更ながら其特徴のないのに一驚せざるを得ない、實にこれは世界交通の便が頻繁なために、彼の國の文物を輸入した結果、混亂されたのに外ならない、物質の文明には、一面、かゝる個性の趣味を没却した、何等の特徴もない、判然何風何國風といふやうなけじめも立たぬものが出來て、美術としては何の價値もないものが出來てしもうのである、それもこれも時代の要求で致し方はないが、かゝる混生的の美術工藝も、其内何れかに結着が付くものと思はれる。
要するに、模様は實物に拘泥することなく、嶄新なる意匠豊富なる想像と相待つて、形状にも色彩にも、變化と趣味とを考へて、其應用するところの物質、及び其用途等に適應して、見た目に美しく面白く総き表はさなくてはならないし、且つ亦、一國の特徴などゝ云ふことも、其時代に適應すると云ふことなども、留意しなくではならないので、それが出來たとすれば、全く模様として上乗な完美なものと云ふてよからう。
實に、模様の資料は自然界のあらゆる物を網羅されて居るのである故、其取材の豊富なことは今更ら云ふまでもないことであるが、古來の工藝家が用ひたる材料などを考へても、實に、思ひもつかぬ、一口に云へばつまらぬもの微細なものにまで及ぼして、居つて、然も立派な成功された傑作がたくさん出來て居ることを思ふと、實に其着眼と苦心とに敬服せずには居れないのである、圖案家の鑒みる處であらう。以下號を追ふて、模様形式分類、或は構成の順序等に就て掲載する(禁轄載)