ボストンの冬[下]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

T.O.生
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日

 一月七日より二十四日迄、セント、ボトルフクラブに米國中部畫画家の油繪展覽會有之、エツチングを合せて七十點、そのうちシンシナツチの人FRANKDUVENECK氏の筆になる肖像畫は一種警抜の處ありて何れも面白く、特に“THEOLDPROFESSOR”と題するものゝ如き、私の曾て見ざるもの肖像もこの位ひに旨ければ誰れの顔でも構はぬ★間に掲げて置たく相成候、先師原田先生の筆になれるモデルを寫せし稽古繪、いま東京美術學校にあり、その筆勢に似通よひて一層雄健なるものと見受け候。同市の人L.H.MEAKEN氏の“HILLVALLEYANDSTREAM”は、其題名の示すが如く、小山あり谿谷あり、横に流るゝ一條の清流あり、水に一艘の舟の浮べる平凡なる景色畫なれど、着筆極めて活澄にして、空氣の説明も申分淑く、味ふに足るべき佳作と存候。同氏の“INCOMING”もよく主J.C.STEEL氏の“THEOLDMILL”も注意すべきものにて、傑作の多キこ、とアートクラブ陳列品の比に無之、米國畫家にもかゝる技倆ありやと今更驚かれ申候。
 

寺榎本滋筆

 この月十六、十七兩日にはビーコンアートギャラリーにて、古今大家の作品百二十餘點の競賣有之候、有名の作家の名を列ね有之候へ共、中には模寫らしきものも見受申候。賣行の様子を見るに、大抵二三百弗にて落札し、往々賣り惜みて引込るのも有之候、時として千弗以上の品の出ることも有之候へ共、由來競賣には奸手段の件ふものときけばあまりアテには相成不申候。ニユーヨークあたりにて古畫の競賣ある時は、一度に千弗も飛ぶことありて、引張合の有檬を呈し、一畫に五六萬弗の賣買あること珍らしからぬ由に候、かゝる競賣には入場料も非常に高價なりとの事に候。競賣の光景は、場内表面に濃き海老茶色の天鵞絨の幕を垂れ、二人の男子左右より繪を高く差上け、傍に立てるセリ人は、煽動的口調を以て聲高に糶直を呼び居候。
 北米の寒氣は日にまし甚しく相成候。コンモンパークの池の氷は一夜に一尺五寸の厚さを増せしとて、スケートの遊び極めて盛んに、凸所を削りとるべく器械馬車の一巡し終るや、無數の老若男女は其跡に詰めかけ、氷の面も見えぬ程に御座候。見るからに心地よき少年の一隊彼方に縦横に走るもあれば、此方には初まなびの足どり危ふく、手を曳かれ肩に椅りて畳束なくも車を滑らすもあり、時にはハヅミに乗りて他に衝突せんことをおそれ大聲を發して警戒するもあり、肉肥ゑたる婦人の美事に辷りて横ざまに倒るゝもありて、橋上に立ちて見物して居ると、殊に面白く歸るのも忘るゝ程に御座候。
 宿の妻君とは日に懇意と相成候ものから、夕飯後の半時間はいつも雑談に暮し候。獨逸嬬人なれば家政巧みに、種々内幕話もきいて益する處少なかず候。妻君の話に、此家は大小八室、其他食堂勝手元物置、ほかに十坪程の物干場つきにて家賃一箇月五十弗、石炭十五弗、水道二弗、瓦斯三弗、其他の費用を合せて凡そ八十弗を要するに、主人の給料は一週十弗なれば、不足は室を貸して補ふことにて、近來はトラストやストライキなどて物債高くして困るなど泣言を申居候。それ故部屋といふ部屋は不残人に貸して、主人はパーラーのソフアの上に、妻君と小兒は勝手元の一隅に寢臺を置いてそこに臥り居候。妻君は平生は木綿の衣服を着てララララララとうたひつゝよく働いて居候へ共、外出の時は指には光つたものも見え、見違へる程立派に相成申候。(Jannuary.20.1904)

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