The Third Eyeについて(和田垣謙三氏「美術と經濟」中央公論)
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日
西洋の言葉に(The ThirdEye)といふ事がある主美術家は二つ以上の眼を持つてゐる――世間では彼は口の人だとか筆の人だとか腕の人だとか言ふ、美術家にも勿論腕も筆も口もいるだらう、けれども美術家に最も必要なるは此二つの目、雙眼以上の第三の眼である、即ち天眼である、靈眼である、神眼である、――眞の美術家といふものは或る意味に於ては大學者でなくてはならぬ、又大學者に非ずんば決して美術家の最も小なるものとさへなることが出來ぬ、吾輩の言ふ大學者とは大に學ぶといふ事である、即ち人に學ぶんでなくて、天に學ぶ、神明に學ぶ、神明に導かれ、造化に師事して、今謂ふ所の靈眼或は靈腕を以て造化の眞意を窺ひ寫すの工風がなくてはならぬ、齋戒沐浴的の精神を以て、其職を天職と思ひ、天命を奉ずるものと思ふ程の神塞的の修養、是は勉めて亦勉め、働むで愈々勵まねばならぬことであらうと思ふ。(和田垣謙三氏「美術と経濟」中央公論)