御嶽寫生旅行

白鴎生
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日

 十月の月次會で御嶽寫生旅行が發表せられ、控室の一隅に規則が貼られて賛成者を募集した。所が如何云ふわけか一向に記名するものがない、多分は一週間といふ豫定に度肝を抜かれてぢたぢたとたぢろいだ弱武者の多かつたと見える、さて僅かに殿名を得ただけで、迚も研究所としては實行出來ぬといふ始末、かるが故にその筋の補助を得て、有志といふ名の元に御嶽寫生放行會は成立した。
 十月三十一日の朝三時、目覺し時計に呼起されて道具を肩にして戸外に出た傾く月影を踏んで飯田町停車揚に急いだ、停車場にはYA君は柱に凭れて人待頭で戸外を見て居る、やあとの聲を掛けて室内に這入ると、薄暗い室の中に同志の面々の顔がぼんやりした輪廓で等く此方を見た、SE、SM、TA、YY、TTの諸君、SK君が遅れて來る、一同ぞろぞろと汽車に乗り込んだ、餘り早起きをしたので眠くてたまらぬ、腰掛にごろごろ横になつた、次のステーシヨンへ着くとどやんどやと二三人に乗り込まれて大狼狽、眠い目を擦り乍ら窓に凭り懸つて夢うつゝの問に幾驛かを過ぎた、中野あたりへ來た時分しらしらと夜が明けた、窓外を見ると美くしい雲が中空に懸つて居る、空は一體に雨もよひのしつとりと落着いた色で、遠近の紅葉の色も沈んで居て好い感じを與へる。
 やがて汽車は立川に着き、吾等は此處で降りて、日向和田徃きに乗替へるのだ、驛員に割引の談判をした所が一向に要領を得ず、青梅へ往つて拂つてくれといふ、誠にのんきな次第だ、さて吾等はこののんきな汽車に乗つた、室は恰と吾等の蜀占で、TA君の前へオイ一點張りの號令やら、SE君の詩吟やら、SM君の俗華ら中々に賑やかなことだ、汽車はのろのろ走つて紅葉の村をいくつか過ぎる、紫の山は近づいてくる、中神、拝島、福羽、羽村、小作などゝいふ變手古な名のステーシヨン毎に十分二十分と停車して往く、青梅へ着いた時YA君は降りて汽車賃を拂ひに往つた所、又候日向和田でしてくれとの事だ、此處で青梅せんべいのコンパニーをやつた、かくて日向和田へ着いたのは八時頃であつた、假小舎然たるステーシヨンの驛長兼驛夫殿に汽車賃を渡して構内を出た、兼て聞いて置いた近道は何處ぞと尋ねると「近道はありますがどうもこの天氣の★梅ぢや駄目でしやう、若し降りでもしやしうものなら迚も歩けません、」といふSM君は僕は割に近い道を知つて居るから案内をするといふことで一同出發した。
 趣味深き秋の山哉、梨が鈴成りになつて居る、柳の實が赤く目に着く、曇つた秋の朝の好い感じの中を、さながら畫中の人の如く吾等は往くのである、眼をあげて見る、秩父の山賑は灰色の雲深く、威嚴と温容とを以て吾等を迎へて居る、志す御嶽は前山に隠れて見えない、多摩の流は深く渓になつて見えないが、崖の向ふ岸は山の裾に連らなつて一面に桑畑、崖に所々岩が露出して居るのが見える、二俣尾の手前から左に折れて、藪の中を抜けて渡場に出た、針金を手操つて舟をやるので、向ふ岸に渡つて、山葵畑や小暗い木の下道を往く、やがて蔭道へ出た、時計は未だ十時にならないが腹時計はもう十二時を過ぎて居る、辨當を持つて來た人は一人もない。のんき★でも空腹はたえられぬ、何處かで中食をしやうかと云ひ出す、面白い家並をした貧弱な村をニツ三ツ過ぎると遙か下の方に萬年橋が見えた、村の這入り口に半めしうんどんと行燈の懸つた家を見付けてやあ此處が可からうと飛込んだ、そばは出來るかと尋ねると少し手間が取れますが牛肉が御座いますから鋤焼は如何様でといふ、それあ結構だと直に可决してしまう、皆店の間に道具を投げ出して上り込んだ土間では蒸籠で蒸かした大きな饅頭を箱に竝べて居る湯氣が朦々と立ち上つて餓えた嗅感を誘ふ早遽取り寄せて試みたが、不味い★空腹にも堪えられぬ位だ、仕度を待つ間つれつれに壁に懸つて居る都々逸を讀む「四本柱の炬燵の中で懸の地取の指角力」などなど自然主義の先生も裸足と云つたやふな名吟が書き連ねてある。
 七輪を持つて來た、八人は車座になつて取り巻いて、唐銅の鍋を掛けて牛肉と葱をぶち込む、黒塗の一人前入りの飯櫃と茶碗がた、ジリジリと煮えるお櫃を持つたなりさながら饑虎の勢を以て八本の手は交々に鍋を突つくのだ、暫くにして肉盡き腹脹れ戦は休み残骸は取亂れて荒凉たる有様を呈した、お神は後始末をする、僕等は疲そべつて休息する。
 此處を出たのは一時頃であつた、此村を過ぎて少し往くと、道傍の一軒家が曇つた弱い調子の中に暗く出てぐッと引締つて居て氣持の宜い事夥しい、次の村に入る、愈御嶽の麓だ、村を通り越すと溪流に沿ふて登つて往く、溪流の石は滑らかに苔蒸して、水に濡れたのは曇つた空の色を寫して美はしい、山毛欅の大木が二三本、奇麗な紅葉をして流れに望んで居る、橋があつて其庭から基點となつて、一丁目二丁目と石標が建つて居る、十四丁目迄來た時に休憩をした、脚下には今迄登つて來た山道や溪流が見え、向ふの連山から武藏野の平野が展けて雲に迄連なつて居る、襯衣は汗ビツショリ羽織や外套をぬいで丸め、暫く休憩の後、此庭を發つた。
 三十丁目あたりから谷を隔てゝ御嶽の村が見え初める、勇氣百倍して一氣に登つた、大きい赤い門構への家が多い、神官だといふ、吾々の宿泊處たる須崎といふ家は神社の側にあつて矢張り神官だ、着くと髯の生へた主人が出て奥の間へ案内せられた、荷物を預けて先づ社へ詣でる、實の處我々は失望した、といふのは麓の引締つだ家や溪流や山毛欅やを見て來た眼で、それよりも劣つたこの景を見て甚だ飽足らぬ、道路山水ではや々纏まるとは思はれたが、麓で描きたくなつた、足を轉じて右往左往村の中を歩いた、美はしい秋の日は一日降りも照りもせずに明日の快晴を前兆する様に西の空を茜し乍ら安らかに暮れて往くのだ。
 宿に歸り着いて夕餉の膳に向ふ、さすがに山家らしいさきいかなどを副へてある、食後下山組と山頂組とに分れて盛んに議論をした、それでYA君と僕は懐の都合で明後日早朝下山し、麓で一泊の上(その翌夕刻の終刮車で歸京として、蝕の諸君は思ひ思ひに止まるといふ事に决定した。
 この夜の騒は非常なものであつた、鬮引をやつて集つた金でぜんぺいや餅菓子を、貧乏鬮を引き當てたYY君がお使ひになつて買ひに徃つた、御菓子を奇抜な分配法で喰つて、歌ふやら吟ずるやら、恰で馬鹿か仙人のやうに騒いだ、これは翌日の談だが、向ひの茶店の爺が、昨夜は東京から來た畫かきやさんが酒を飲むで騒いだと云つて居たさうだ、十時近くなつて雲上の仙人達も床を延べて寢た。
 翌朝は六時頃に起きた、朝飯前にスケッチをしたり位置を見たり中々忙がしい、空はすツかり晴れで日にかツと當つて居る曇つた和かい昨月の感じとは丸で別物だ、食後も直に飛出して、僕は槻を八ツ切に描いた、それから村はづれで曲毛欅の紅葉を描く、丁度午頃になつたので一先宿屋に歸つて、午飯を食つてから僕は杉の木を前景にして俯瞰圖を一枚かいた、日は餘程傾いた、もう一枚阪の中程から下を見て描いたが、半分許りで日はどつぷりと暮れた、此夜も亦大騒ぎをやつた。
 翌朝TT君も急に歸るといふので、都合三人辨當を持へて貰つて下山した、登りには非常に長くて苦しかつた道も降りは樂で、三十分で山毛欅の處迄來た、引締つた家の附近でYA君は下の流を描き僕は家を描いた、けれども前に見た時のやうな感興は湧いて來ない、前に感じた程いゝとは感じられない、TT君は終列車に間に合ふやうにと吾等を殘して歸つた、夕方迄かゝつて描き上げてから今宵の宿を尋ねると、河向ふにあるといふので、あやふやな橋を渡つて尋ね當てた所、いやはや、宿屋といふよりも水呑百姓の家と云つた方が適當だ、二の足を踏まざるを得ない、併し宿屋は爰一軒だと開いた、仕方がない度胸を决めて這入つた、土間に二三人の男女が燈を園んで居る、顔の輪廓の妙な女が出て來て奥の座敷に導いた、十畳程の間で、畳の隙が大變でごみだらけ、眞ン中へそツと坐つた、火鉢とお茶を持つて來た、これが又奇抜で、急須の代りに土瓶に茶が入つて居て併もそれが隣座敷の客と兼用だ。
 湯を召しませと云つて鼻緒の太い面白い下駄、寧ろ緒に着いた下駄を持つて來た、僕等は汚ならしいこの宿屋の御湯を不氣味 に思つて這入得なかつた、御飯が來る、例の女がおとろは如何 ですと云つた、おとろとは何だらうと三人で顔を見合せると、 御存知なければ持つて參りませうといつて持つて來たのはとろ ろ汁だつた。
  食後、少しでも少なくこの家に居たいといふ思ひから散歩に出 た、闇の宵で、暗い山路を上手へ辿る、杉の木立が黒く行手にあ る、火影が二ツ三ツちらつく、寧ろ吾等は今宵中この儘此處に立 盡したく思つた主あの汚い火影の暗い處で寢るのは、尾瀬沼の 小舎の遙かに仙人らしく立勝つて居るのを思はざるを得ない、 暫く其處らをさまよふたが肌寒くなつたので宿に歸つた。
  亭主が宿帳を持つて來て合宿を一人願ひますと云つた、いやに 堅苦しい言葉を使ふ人だ、宿帳を繰り擴げて見たが、畫家らしい 人の名前は見なかつた、遊藝といふのが一番目に着いた、多分 は法界節や浪花節語りなのだらう、合客といふのが湯からあが つて這入つて來た、五十餘りの旅商人らしい人だ、銚子を一本 倒して陶然として居た、隣座敷へ床を延べましたからお寢み下 さいと例の女が云ふ、今頃から寢られるものかと、又戸外へ出 た、今度は川下へ往く、二人で琵琶歌や唱歌を吐鳴り乍ら歩い た、可い加減に歸つて隣座敷に這入つた、ランプが暗くてよく 判らぬが、蒲團が如何にも汚ならしい、羽織丈をぬいで横にな つた、帽子を被つたまゝで、夜着を臍の處迄かけた、山頂の仙 人どもは、今頃は例の鬮引か何かでさんざめいて居るだらうと 思ふと、益々ものゝ哀れが身にしみるかゝる中にもいつしかうとうととした。
 俄にざあざあといふ音に呼起された、雨かとも思つた、隣りに便所があつて、小便の音が手で取る如く聞えるのだ、忌々しい、業腹だ、この後も二三度聞かされた、爲に轉々として眠れなかつた。
 しらしら明けに床を飛び出した、滑稽な一夜は斯くて過ぎた、 表の清水で顔を洗つて漸く清々した、又上手へうろついて、露つて飯を喰ふ、食後は早蓮この業腹な家を出て、あやふやな橋を渡り向ふ岸へ陣取つた。
 山の後からのッと日が出て、七彩の線を尾根から滑り落して麓の村の一部が黄ろく輝いて居る、吾々はこの趣をスヶツチした一時間の後、山に少し登つて山毛欅の紅葉を寫した、大髄出來た時下から福太夫君が來た、YA君は手紙を書いて山頂のTA 君迄福君に托した、描き終つて山を降る、麓の茶店で午飯の代 りに菓子を喰ふ、それからYA君は昨日のつゞきを描き、僕は 流れで杉を描いた。
  四時頃此處を出發した、前とは違つた路を探つた、空腹を抱へ て落花生をポリポリかじりながら、趣味の深い★の村や桑畑の 間を貫ぬく日向道を、何處迄とも往くのだ、二股尾の手前で日 は暮れた、日向和田へ來た所、汽車に大分時間がありさうなの で青梅迄歩いた。
 此處からは、汽車で、三時間の後には再び紅塵萬丈中の人となつた。

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