寄書 寫生行(冬の十二社)

孚明
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日

 一月四日、朝寢をして十一時頃食事を終へた、氣がくさくして頭がぼんやりしてる、東條君と松浦君が遊びに來た、何處かへスケツチに行かぬかと云はれて、早速同意した、外へ出た、天氣はよい、市中は未だお正月めいて居る。
 市ヶ谷から甲武電車によつて新宿で下車した、町外れへ出様と當てもなく行く、町とは云へ密接してゐるから物皆都めいてゐる、若い男女が往來で羽根を突いてさわいでる、後から聲かけ勇ましく初荷がやつて來る、綿屋の初荷だ、二三臺通り過ぎて行つた、少し歩を早める、淨水場を左り三四丁行くと、左側に『十二社ヘニ町」と札がかゝつてゐるので、細い小路に入つて行く、こゝへ來るともう都らしくない、青麥の畑がある、茅屋が軒を並べて、鶏が長閑な聲を立てゝ居る、茅家か五六軒で盡きた、畑の中の細道をうねり行くど森が見える、森へ入いると十二社が。
 落葉を蹈むと其下に霜柱がぐさと崩れた、もう解けかかつて居る、本社の後から前に廻つて、下駄をぬぎ棄てゝ社殿に上つた、貧乏財布を探つて賽銭箱に投する、氣味のいゝ音がした、太い繩の附いてる鈴をガランガランガランと鳴して眞面目に額つく。
 神殿の御洗鉢や冬椿
 御手洗の厚き氷や今朝の春
 仰き見る松や松子に春立ちぬ
 神庭や落葉の中の霜柱
 恍惚として我に返へると二人は居ない、今迄御手洗の厚氷をいぢつて居つた筈だと、四邊を見廻した、影も形も見えぬ、池の茶屋にはよもや這入るまいと思つたなれど、若しやと入ロに行くと、入らしやいと艶めかしい茶屋女、これはたまらぬと早速引返へして社の後へ廻つた、居らぬ、笹原があつて直ぐ下は崖だ、清らかな流が寒げに音立てゝ居る、霜柱の道を拾ひ歩きしながら、境内を通りぬけ檬とあせる、一方は飲食店で一方は池だ馬池には藍をたゝへて、枯葦が威々に背高く風にゆらいでる、飲食店の盡きる處に、女瀧と高札がかゝつて、男は入るべからずとある、つまらぬ瀧だ、岡の下を二人の女が泥路になやみ乍ら歩いて來る。
 霜解や足袋をあはれむ朝詣
 女と行き違ひに岡に上つて行くと、二人は盛んにスケツチをやつてるので、我も道具を開いた、入らつしやいと面喰つた茶屋が池に倒映して頗る美しい、下畫を取つてると、茶屋の屋根の上に梯子が現われた、間もなく人が登つた、はゝア消防の出初めだなと氣か付いた主一時間餘は無言の業、やつと十六切一枚寫生を終へて、冬木立の澗を通り畑地へ出る、五六町にして橋がある、下を流れてる水は玉川の水だ」羽村から別れて來るのだ、川の両側は一面に畑で、茶や桑の樹が所々に割據してる、畑中の一ッ家の前に夥しく大根が干し掛けてある、富士がよく見えて感じのいゝ畫題だ、枯草や枯枝を集めて路傍に焚火した再び三人適當の位置によつて寫生し始めた、左手の方から坊さんが二人きて前を通つた、八百屋が右手の細道を曲つて行た、東條君が出來たかと見に來る、松浦君も出來たとやつて來る、我れもどうかこうかごまかしたので、イザと焚火路を踏んて歸路についた。(孚明)

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