寄書 或る日
加須美生
『みづゑ』第五十九
明治43年2月3日
冬の暖かい日、反町裏の豊顯寺へ通する道より、右手へ少し下りて柔かい枯草の中へ畫架を立てゝ、自分は三脚なしで稻叢へ靠れ懸かりながら前に有る稻叢の二ツ三ツと、中景の農家と、其の後の霞んだ山を小さひ畫面に入れて寫生しかかると、近くで凧あげに餘念なかつた小供等が五六人、凧を下ろしてと直ぐ寄つてくる、「やあ寫眞を描い居らあ」と一人が言へば、「あら一チヤン處、の家を描いて居乃よ」と彼の農家を指さして云ふ、傍を通る人が皆立止つて見て行く、西の空が少し黄ばんで彼の家も少し霞できた頃、タツチを入れ終つてパレツトを洗うて居ると、田の向から友が一人、三脚をふり廻わしながら「やつてるのかね」と聲を懸ける、「最う仕舞かね」と、すぐ畫架のそばへ寄つてきて畫面と向ふを見くらべて、「一寸此處も善い處だね、僕はそら彼處の森を描いたよ」と、今描いた家の左手の森を指さしながら、スケツチ箱を開けて見せる、豆腐屋がりんをならしてわきの道を通つて行く、「君最う歸へらうじやないか」と、友をうながして畫架をたゝむと、彼の家からボート白く夕煙が上つた。