フレヤ氏の蒐集品

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

T、O、生
『みづゑ』第六十 P.9-10
明治43年3月3日

 バフワローを去りて當デトロイト市に参り直ちにフレヤ氏を訪問致候、氏の邸宅は閑靜なる地にあり。新築の廣大なる家はペンキを用ひず、日本流に艶拭すべく仕組ありて頗る清楚の感有之候。家具の如きも日本の黄漆をもつて塗り、萬事結構を極め居候。かく日本好なるは、直らに喜んで迎へられ、愛藏せらるゝ多數の美術品を取出し、一々自から説明の勞をとられ候。洋畫にして氏が近頃蒐集せられつゝあるは、T.W. Dewing. D.W.Tryon. A.H.Thoyer T.McNeil Whistlor四氏の作品にして、就中ホイツスラー氏の分最も多く、愛好の度も又最も高き樣に被存候。上記四氏ぼ、何れも米國出生の畫家にして、他の三氏の繪は佳作の出る毎に買収するを例と致し居候へ共ホイツスラー氏の分だけに、ロンドンに佳ゐて絶えず製作を見るの機會なき故にもあれど、同氏の作にして、彼地より送り來る時は、何時にても申出の價格にて引受るく事に相成居候由に候。藝術家が、其製作を何時でも引受て呉れる人を持つて居るといふのは、眞に羨ましき事に候。思ふに、眞の美術愛護者は、フレヤ氏の如き考を持つて蒐集する方が大なる効果を生すべく候。何となれば、如斯知遇に對しては、畫家に於ても、劣作を送ることを得ざるべく、從つて、展覽會などで詰らぬ作を背負込むやうの事なければに候。
 

小笠原母島船本山一部落丸山晩霞筆

 ホイツスラー氏の作は、日本の浮世繪によつて學びし處多しとかねて承り居候ひしが、成程其畫の中には、日本服を着けし白哲人あり、色調圖取の模樣等、廣重式なるものも多く見受候、氏はテイムス河の水色を愛して、故國たるアメリカには歸らぬと申程あつて、此河の夜景を寫せしものには、敬服を禁じ得ぬもの澤山有之候。また、洒落風の圖も多く、水彩畫の如きは、一筆描きの極めて輕妙なるものも有之候。丁度、日本畫の色紙扇面などに、淡彩で花鳥を畫きある、其筆法に御座候。フレヤ氏は、かゝる種類の繪を大に好まれ居られ候が、私の考ふる處では、如斯は恐らく日本畫の方が、發達もして居るし、巧でもあり、まれよく感情も出で居候。濃厚なる油繪の中にあるため、一層目立ちて面白くも覺ゆれど、其描法に於ては、日本人たる私には何の珍らしき處もなく存候。たゞ、氏の色彩には、一種崇高神秘の感あり、一の浮華なく厭味なき點は、大に學ふべき處と存候。
 氏の作に次て、トライオン氏の作には、大幅もありて割合に數多く藏せられ居候。氏の近來の繪は、何れも朝霧の心持を寫せしものと覺しく、畫面模糊として柔らかき調子のものゝみに候其國柄は、多く林と草原のみ、人物も何もなき極々單純なるものに候へ共、熟視してゐると、何時か其畫中に引込まれ候やうにて、實に詩趣に富むだものに候。併し、氏が十年前の作といふのを見ると、強烈な色彩で眞黒に塗つてあり、輪廓も硬く、印象の判然として空氣の乏しい繪で、若しそのサインを蔽へば、决して同一人の筆になつたものとは思はれ不申候。
 ヅーイング氏の作は殆と人物畫のみで、そのうち中幅の繪でピヤノに對へる婦人を寫せしものは頗る快よき作と存候。フレヤ氏の注丈により、ヅーイング氏の作品のみを掲げる一室有之、それはあまり大ならざる室なるが、圓天井の面白き装飾をなせしものにて、ヅーイング氏自身の設計意匠に成りしものゝ由に候。四壁の色は下部から頂上ヘゆくに從ひ漸く明く、天井の中央なる大なる艶消しの電燈に及びて殆と卵色に淡く消失致候。セリー氏の分は其數も少なく出來も他の三氏に劣れるやうに見受られ申候。氏の風景畫は印象の明らかな描法で、トライオン氏とは反對に御座候。以上四氏の繪は、フレヤ氏の邸宅階上階下壁といふ壁に懸けられ、たゞに晝間に見るべく採光の工風が致しあるのみでなく、夜分にても觀覽致し得るやうに電燈の装置も都合よく相成居候。實に美術品に對する待遇の厚きには驚き入るのほかなく、かゝる人ありてこそ美術も進歩すべく、作家も勇むで研究が出來可申候。
 フレヤ氏の愛藏品は洋畫のみにてはなく、日本畫及び、古美術品にも及び居候。屋後に嚴重なる防火装置をなせる一棟の倉庫には、無數の屏風を藏し居られ候。名畫の幅物も少なからず、浮世繪の蒐集は普く世人の知る處にて、其鑒識力も非凡の由に候。なほ階上の一室には、日本古器物あり。就中三井寺にて得たりといふ鈴は、其音響の美はしき、一度耳にせしものゝ生涯忘るゝ能はざるものに御座候。私共デトロイト滞在中は、數回氏を訪ふて是等の美術品に接し、旅中の苦勞か忘れ申候。
 氏にまた珍奇なる酒類を好まれ、最下層の一室には、數百の瓶ありて、世界の美酒を蓄へ置かれ候。そのある者の如きは、既に醸造法の忘られしものも有之候由にて、小さな盃にくみて饗せられ候。

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