寄書 駒ヶ嶽

一斗生
『みづゑ』第六十 P.17-18
明治43年3月3日

 幾度か寫生して幾度か失敗した、之れからも亦此の事を繰り返さねばならぬ駒ヶ嶽を紹介する。
 中仙道上松驛より四里八丁、六時間にして絶頂に達し得、木曾伊那の兩郡に跨り、高さ七千八百八尺、山は凡て花崗岩にして、木曾街道の景物に愈々跌宕を倍す、其状恰も屏風を立てたるが如く、所謂三十六峰八千谿と稱せらる、其間翠然たる偃松に、雪の如き花崗岩の上に匍匐し、其景の美なる畫もまた及ばす。(木曾風光の一節)
 都の友からは花の音信がある、雜誌の口繪には暖い春の野が出る樣になつても、寒い木曾の谷に、積り積つた雪が未だ消へぬ、此頃の一夕城山を散歩して、第一に心を引くは駒ヶ嶽の夕照だ、木曾八景の一つだからと云ふのではない、狹い谷の底、木曾川畔に延びた福島の町は、高い西山に夕陽を遮られて、薄暗い靄の中にボンヤリと暮れて殘つた雪のみが白く見える。
 駒ヶ嶽の麓に、回らした塀の樣に重なり合つた一連の柴山の枯れた頂を照した日が、すツと上に逸れて、西の空が黄金色に輝き始めると、低い峰が黑くなつて、駒ヶ嶽を照す日が益々赤くなつて來る。
 中空八千尺の半から上は、雪計りて積上げたかと思はれる皚々たる巨峰が、西に向つて紅光を浴ひた樣、譬ふへきものを超脱してゐる、彼自身は太古より偉大なるものゝ一つだ。
 巓の凍つた雪の面が、硝子板の樣にキラキラと光る、全山一色の如く見えて、數知らぬ襞が現れ、前山が暗くなるに連れて、色ば眞紅になり、山が近くなつて大きく中空まで聳へた。
 右の頂が左の凹部を薄暗くして、其後から輝く峰が顔を出し、中腹に起つた小さい凸出が、下からさす陽光を遮ぎつて、影を上に延ばして居る。始め一片の綿の樣に、何か見えると思ふ間に、四方に延ひて、帯の樣に中腹に横ると、紫の影が雪に落ちて、闇は山の三分の一程まで迫つた。
 雲が下に擴がつて麓を包む頃、夕陽は最後の一閃を頂に射て、頓に其所らが暗くなつた。
 アヽと吾に返ると、持つた筆は凍り、手はこゝゑて、半成の畫面が闇に白い、寒風に襟を襲はれながら、三脚を提げた時、今一度駒ヶ嶽を見ると、餘れる光に、山は白く、暗藍の空に夢の樣、ホッと大息して下を見ると、電燈が赤く光つて居る。

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