寄書 凩の旅

津川清平
『みづゑ』第六十 P.18-20
明治43年3月3日

凩の旅 神戸 津川清平
  b:一郷里の風光案内にはあらねど、大和地方への極月の旅日記を水繪化したるものなれば、拙文ながら目を通されよと言ふ。
 時は嚴寒十二月、冷き風を外套の襟にて防ぎつゝ、心合へる友と二人して、朝の七時といふに電車に乗る、間も無く出入橋の終點に着く、空曇りて今にも泣き出しさうなる模樣なり、網島まで徒歩して行き汽車に乗る、時に九時廿分なり、出入橋より約一時を費したるを以てその里程知らるべし、九時四十分に網島を發すれば、住之道といふ驛には十時半に着きたり、汽車賃は十三錢にして、此處は人口約三百程の小村落なり、太鼓打ちつゝ廣告する人の、如何にも田舎干たるも面白く、スケツチに時を費して、草履を草鞋に改めて、八九丁もあらむか、布局大なる大坂平野を歩み行きて、生駒山麓に着す。
 さるにても、吾々二人は是より山を越えで奈良に出でむとするなり、路は廣くして一丁毎に立て石あれば、樂に廿六七丁も登りたり、其處にて晝飯を終り、殘り卅一丁を歩みて、山上の般若寺に着したるは午後の一時半なりし、奥の院は是非見るへきものと聞き及びしが見ざりし、されど途上の般若瀧といふを見たるが石の不動が水を浴びる樣は一寸面白く、なほツラヽの瀧が出來居るもなかなかの奇觀なりし。此處より、奈良の若草山及び大佛の堂なども見え居れども、三里半と聽き驚きしが、勇を出だして下る、九丁にして山麓に着す、顧りみれば生駒の山々、馬糞紙色に枯れたるが、冬の空に横り、濃線の松林色鮮なり。スケツチして猶も進みしに、三方に別れたる路あり、重ねて行く人に告ぐ、「中の一線を東に取れ」と吾も困りれる一人なるがやうやくに考へて進みたるなり、直に富雄川に出づ、上鳥見橋といふを渡りて、右に取りて下らば、田舎らしき風光面白き境に至るべし、或は土藏に入日の映じたる、或は小供等の夕日暖き庭に遊べる或は枯木の影の淡紫色に印せる或は立場茶屋の店先に荷車の牛の聲立て叫べる等、急がぬ旅ならば二三日は費してもと、名殘惜き街道をたどりて砂茶屋といふ小驛に出づ、其處より左に折れ、東へ東へと進むに、喜光寺といふ堂左に見ゆ、由緒ある寺とはいへど其儘にして都跡村といふに入る、奈良までの里數を問はゞ一里と答ふるに、勢づきて、とぼとぼと寒き風に吹かれつゝ歩む、西の京といふ塔を右に見て行く、垂仁帝の陵を見る、奈良の宿に着きたるは午後五時を過ぎたる頃なりき。
 宿にては餅を春き居て、節面白く打つ音は、如何に族の疲れを安ませしならむ、夜スケツチプツク持ちて外に出づ、折りしも十三夜の月沍えて、猿澤池畔獨り塔の陰暗し、時に靜粛の夜の音を破るは一疋の鹿なり、それより春日神社一の島居あたり迄行き見るに、足元あぶな氣なる鹿、吾等二人を見て逃ぐるも興あろことなり、明圓は櫻井まで八里の路を歩かざるべからざればとて、夜の九時頃寢に就く、女の聲して琵琶歌叫ぶも哀れなり。
  二
 翌廿六日、宿を朝鳥と共に立ちて、南圓堂に至る、吾が持くる三脚を見て、一人の僧語りて曰く、「盛夏の候此の堂の中にて佛像をスケツチし繪端書を買ひて立ち去りし人あり」とて、詳し く案内の勞を取られたり、博物館への途上、古瓦を數多拾ひて 友と共に競ふ、場より出でて大佛に入る、それより二月堂に至 り晝飯を終る、春日紳社もそこそこに、櫻井向かつて發足す猿 澤池の畔より南へ初瀬街道を歩む、「おびとけ」「櫟本」を過ぎて 猶も進みたるに、明月東の山に明るく遠山はパアプル色に霞み 村の白壁のみ、際立らて白く見えたり、枯木の細々と立てるも 哀れに淋く、かうかうと散る落葉にも旅の淋さを感じたり、坂 の路は農家の屋根にて絶え寒き風耳を切りて水田の中に光る月 も、物沍えたる一幅の好圖パノラマの如く右に開き、快哉の語 にも淋の情を起さしめたり、「柳本」といふ村に入る、あたりは 夕靄に包まれて、三輪町の燈火のみコパルト色の中に點々とし て見ゆ、三輸神社も見ずに町を過ぎ、橋際に休みたり、山の端 の明月皎々として物凄く、水の音のみ響き渡れり・・・・
 櫻井の町に着きたるは夜の十一時頃にして、寢に就きたる後は 何事もわからず。
  三
  目覺むれば日光高く上れるに驚き、直に多武峯五十町の坂路を 登る、頂上に着きたるは十一時過ぎにして老杉森々たる中を出 づれば朱塗りの樓門麗しく、皇后陛下も御臨幸せられしとか、二三日前には雪七八寸も積りたりといへば、その寒さ知らるべ し、少時スケツチして晝飯を終り、畝傍へ立ち出でて下山す、山上よりの眺望、吉田氏の畫かれ表る「峯の眺め」その儘に して、日數あらば畫きしにと、残念がれども詮方なし、岡寺といふ名高き寺もその儘にして、橿原神宮を拜す、質素なる社内寂として音無し、途中或る村落の美しき構圖を見たれど、次の旅を期して進みたるなり、畝傍驛に着きたるは四時半にして、今列車の出でたる後と聽き、六時十分の下りに乗る、十五夜の月沍えて、はるか三笠山上に明るし、旅の、疲れにうとうとと眠れば、月はなほも窓外に高く、★の音のみ物凄し。(完)
  ―明治四十二年十二月廿日七記す

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