寄書 おのれの告白[上]

長谷川利行
『みづゑ』第六十 P.20-21
明治43年3月3日

 一條の路にまばらな松林があつて家が二三軒、それへ雪が降つた丁度それが元旦であるこれで新年の雪と言ふ御題に叶つた歌でも詩でも文でも作れるわけである無論畫も描ける、おのれにそれを眺めて詩も作つた歌も文も作つた畫も描いた、と同時に文章家になり畫家となつた、とまたおのれは馬鹿々々しくなつた。文章家が何んだ、詩なり歌なり文なり作つてこのおのれな慰安せしめるのにどれぽどのエナーヂがあるか、先づこう反促した、するとおのれはどうしても自然畫の側にたちてゆく人だ、畫家――藝術家になるのは天職だと信じるやうになる、何んだかつくづく描いた新年の雪といふ御題その儘の水彩畫を見て一しほの快心を覺へた。
 仰々しく以上の始末をならべたてるのは何の理由もない、歌も詩も文も作つたが描いた繪畫が痛切におのれに見ばえがしたのである。
  おのれに元旦は年賀状がまい込んだ、無慮八十枚のハガキは大丈夫あつた、いろんな文句も見出した、達筆家もありがたかつた、御自慢のあつさりした水彩畫の肉筆賀状等はよろこぼしかつた、がおのれは一番うれしかつたことはおのれの常々崇拝ぢやあ無い先輩先生として居る大下先生から戴いた賀状である、第一今年四十三年の一日から嬉しいことであつた。おのれは賀状を給つた先生へ厚く御禮申して居た。

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