寄書 思ひ出の儘
加須美生
『みづゑ』第六十 P.21
明治43年3月3日
或る入曰ふ、「冬は色彩に乏しい」とそれは自然の觀察が不充分から出る言葉だらうと僕は思ふ、なぜなればさう云ふ人の寫生畫は、きつと色が單調で有らう、もし其の畫に種々の色が入つてゐれば、それは充分なる自然の觀察から出る色でなく、唯無意識に色を入れる丈で、自然がどうでも唯其時其畫が一寸キレイに手際善く描ければそれで善いと思つて居るに違いない、少しく觀察を密にすれば、盛夏の濃い綠の中にも、其草特有の色が種々見えるに違いない、わけて、秋は言迄もなく、冬の淋ひしい枯草の一樣に黄色に見ゆるも、つぶさに觀察したならば、乏しい處でばない、非常に面白い多くの色を見出す事が出來るだらうと思ふ、故に、いやしくも彩筆を手にする人々は、日常目に觸るゝもの何によらず心懸けて觀察して、其所謂審美眼を養成して置くことは急務であらう。