寄書 裏の竹藪
枯村生
『みづゑ』第六十 P.21
明治43年3月3日
椽先から十間許りが畑で、それから先は四十五度位の勾配になつた草叢で、それが中頃から前は疎らに、奥の方へと段々に茂つた竹藪である、家主が何時にも掃除しないので、竹の古葉が四五寸も積つて、前の枯芝の上迄一面に被さつて居る、毎朝八時頃になると前の畑の眞中頃から籔へかけて、一面に日光を浴ひるので、畑に取殘されれた菜でも籔の落葉でも皆んな白銀色にきらきらして居る、草叢から籔へかけては丁度ヱローオーカの濃いのを一杯に流して、其の上に高い方からバントシンナを流した樣だ、そして其のバントシンナが高處や草の根に遮られて低い處を★り★りて流れた樣で、其のエローオーカとバントシンナの境目には處々ライトレツドかバミリオンの樣な眞紅の色が見える、僕は先生の言ほれる自然とか暖いとかは此の事かと感じた。