報告 静岡水彩畫展覧會


『みづゑ』第六十一
明治43年4月3日

 三月二日から六日まで五日間展覽會を開くと云ふことに付ては、殆んと三四週間あちこちして漸く開くといふ運になつた
 無論大下先生の御助力が預て力ありしことは云ふまでもないことであり、會場などの都合も比較的光線の具合もいゝ新築の建物を全部使用することの出來たのは、主催者にとつて最も欣喜に堪べないことである。入場料のこともいろいろの都合があつて、結極無料で見せるといふことになつたのはこれも一般の観覽者の爲欣ばしいことと云はればならぬ。兎に角三百點近い作品、然も水彩畫のみを陳列し得たといふことは、地方として否東都の會でもかやうなことは先づ空前のことゝ思はれる。一日にはわざわざ東京から大下先生の御來岡を得て、陳列方法など万端のことを統べられて、豫定通り二日午前九時に開場することになつた。それから六日まで五日間、天氣都合もよかつたし、毎日数百の観覽者を得て、兎に角學者には多大の參考となり、素人にあつても恐らくかゝる異彩の繪畫に逢着して清新なる興味を得たこと、思はれる、兎に角當地の紳士連をして、初めて水彩畫なるものを視たゐもの、名のみを聞て其實を知らざる人々を動かじて、十數點の賣約を得せしめたのは、必ず從來屡々地方に行はる愚劣なる日本畫會に慊たらぬ所故でもあり、又時運の然らしむる處でもあつたらう。尚五日の土曜日から六日の日曜へかけては、遠江又は伊豆の遠くより、わざわざ展覽會觀覽の爲來られし職員などのあつたことを思ふと、既の催も决して徒爾なものでなかつたと思はれる。殊に、當地の師範學校生徒職員及び、中學校一部の人々には、最も多大の注意を以て趣味と實益との効果を頒ち得たことは、最も満足に思ふところである。五日間の會期中、殆と連日観覧して、数時間繪畫の前に佇立し、然も飽くことを知らざる人々の多々ありしをみても明かである。又當市五六の新聞紙は、會期前より數回本會の催に付て、種々の報告批評等を得たことも感謝せねばならないし、本縣知事も再度まで來観せられ、大ゐに主催者の勢を賞せられしは深く感銘するところである。尚又、六日午後には東宮殿下御西行に際し、當地御用邸へ御一泊の際は、御興覽の爲特に數十葉の逸品を差出す様との内命を得、本會の名餘此上なく恐懼御受致せし次第なるも、遂に殿下御不例の爲御西行御沙汰止のことゝなり、其儀に至らざりしは乍恐遺憾とするところである。
 殊に來観者は、かゝる絢爛たる色彩に對して、自己が腦中の美なる琴線の享樂に振れて、たゞ讃嘆の聲と憧憬の念を發せしめ、展覽品に對して尊敬を挑ひ、會場の取締不充分なりしに拘はらず、一の破損紛失等なかしは、如何に此會の高雅なる趣味の上に立つことを知らしむるものであると思ふ。或は又最も滑稽なりしは某高等官屬と稱する人の來観を得し時此人繪畫をみるに一々理窟を以て解さんとし一々二畫を指ざして小理窟を述べられしには、説明者をして少なからず困却せしめ、尚今後の繪畫發展上、水彩畫の如きは時勢上よりみるも風土上よりみるも、今後大ゐに進歩發達すべきものなることを述べしに、一言のもとに、宗教家にしても、自己の宗旨を揚け他宗をくさすは、何れも通弊とするところである之の盲斷を得しには、益々説明者をして再び云ふことを得ざらしめたのである。美術を談するに、尚行政司法のそれの如く解さんとする徒輩の、尚かゝる地位ある人々の中に多きを慨嘆せずには居られない。然しそれもこれも多くの人々を相手にすることである故致し方もないことである。兎に角、靜岡の水彩畫展覽會は、大略こんな具合に芽出度き終りを告けたのである。(畔川記)

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