寄書 寒村の一冬

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『みづゑ』第六十一
明治43年4月3日

 日本アルプスの連山の嶺に雪が白く見える様になると、此寒村中に住んで居る人々は、冬越しの用意に取掛るのである、そして間も無く、村の小供の「雪々」と叫ぶ聲が、軒から軒にと傳はると、もう家々の戸は閉ざされて、村人等は爐を取圍んで内職の細工物をするのだ。
 私は或る一冬を此寒村に送つた事がある。
 爐には松の細枝がいつもうづ高く燃やされる、そして其たゞ一つの弱々しい火光が書間も猶ほ薄暗い此家の隅々迄も輝らすのである。私の荷物と云つても、柳行李一つとスケッチ箱、それから三脚、たゞれだけだが、いつも家の隅に立てかけてあつて、割合に濃い日には、スケツチ箱と三脚とは私の御供をする位である。
 小供の聲が、村人に冬越しの用意をうながしてから一週間も経つともう村は深い深い雪の中に閉ぢごめられて、二三ヶ月の間ぼ交通も杜絶してしまうのである、毎日、村人は爐を取圍んで は、細工物の合間々々に、話をしながら永い一日を暮らしてしまう、そして彼等は、私が話す都會の話―その中では、いつも電車や汽車や馬車の話が、ことに彼等を喜ばすのである―を細工物の手を止めて熱心に傾聴する、と云つて、彼等の中で汽車の話を解する者は、三十戸程の村で一人より居無いのだ、私は一冬を此單純な山の中の寒村に送つたのだ、初めの中は此生活を樂しくも、又愉快にも思つたが、二週間の後には、私の心は此単純に飽きた、そして、一ヶ月前に去つた都會を戀しく思ふ様になつた、其間、私の心をなぐさめてくれたのは、此小さなスケッチ箱だけであつたが、私は或日の午後に戸外寫生を試ろみ様とした、然し此寒氣は、私に寫生を詐さない、私はすぐ爐のそばの人となつた。
 此家の入口の横には、道路に面して此邊には珍らしい硝子張の窓が一つあつた、私はしよう事なしに、此硝子を通じて、家の前の荒廢した水車場や、雪の中に其頭だけ出して居ろ百姓家を寫生した。
 冬も終りに近づくと、ナダレは乱く家の脊後に凄い響を立てる、此家の未だ生れて二三ヶ月位によりならない小供は響のする度に其頭を母親のふところの中にラづめて火の付く様になく、私は響よりもむしろ此泣聲に驚かされた。脊後の窓からは、此ナダレの壯觀をよく見る事が出來た、私は響のする度に、此窓によつて、氷や雪の一齊に本の枝を打ちおつて下に落ちて來るのをあくまで見た、ナダレの後は、山の様に雲が積もれる、そして春が來て雪が消え初めると、よく其下に、犬等の死骸が出てべる。
 私は、毎日爐のそばで、來る時に買つた古い雜誌をくりかへしくりかへし讀む、で、それも飽きると、村人の話相手になつたり又其まゝ寢てしまう、こうして永い雪國の冬を送つたのだ。
 こうした冬が、辛ふじて過ぎると、村の人々の顔には、ホツとした色が浮ぷ、そして未だ消えたい雪をけつて、乗合馬車が威勢よくラツパを鳴らして來ると、もう村人は活動し始めるのだ。
 其頃になると、灰色であつた空も處々青空が現れて來て、二三艮の間には日光も何となく強く輝く様に思はれると、もう空は全體が紺青となる、すると日本アルプスの連山の雲も麓の方から消えて來て、ついには嶺にだけ雪が見られる様になる、それから又二三日経つと、郵便脚夫は一冬中の書状をまとめて、各戸にくばつて行く、と思ふとすぐ里の方―東から―商人は車に荷物を満戴して各戸を週りに來る、そして村人等に里の有様を知らせて歩く、小川が水の音を立てて流れる様になると、裏の山の枯水もだんだんと緑を帯びて來る、村人が瞳がれて居る東より流れる小川は、上流の方から青草の葉を浮ばせて來る、しばらくすると、小川の堤から青草におそわれて來て、すぐ村は緑を以て包まれる、またしばらく経ると、野の花が上流から小川によつて流されて來る、そして夏の近い事を村人に知らして行く、村人等は、これからの短かい活動期を、一生懸命に、數ヶ月間の冬ごもりの事を考へながら働く、夏も過ぎると又秋が 來る、そして、村の小川を紅葉で、飾つて居ると思ふ間に、又小供の「雪々」と云ふ聲で冬越をするのだ。私は氣候が艮くなつて、村が緑に包まれる頃都會に歸つた、けれど私は、冬の來る度に、雪に閉された日本アルプスの連山の下の、寒村の冬越を 想ひ起さない事は無い、私の心は常に、冬と共に寒村の冬を聯 想するのだ。

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