寄書 おのれの告白[下]
長谷川利行
『みづゑ』第六十一
明治43年4月3日
おのれはここに謝罪せなくちやあならないことどもがある。
第一、栃木縣の人江西藤十君は去る七月おのれに眞面目に水彩畫を研究し習作し交換を爲やう乏、自分の目下の境遇などまで御報せになつてワットマン九ッ切位の御自筆の畫を送られたことである、おのれは早速畫なり片紙なりを差上けるべきはつなりしも、未だ未だ人様に見せる様なるものは出來ないし、おのれではこれで十分と思つた作品もないので何時か出來たら出來たらと最早半年も経過して來た、出來たら多少おのれにもいいと思つたのが出來たら手紙もあげたい御返事をだしたいと思つて手紙は半年も前にいろいろ畫のことどもに就ておのれの意見やらを認めて置いたが今日に到つて其運びにならない過日ハガキを飛ばして置いたがおのれはここで言ふ例令眞面目に研究したり研究畫を作つたりして交換するに、人様の様にをうそれと御返事が出來かねるので、おのれの性分としてそれでも眞面目に研究はおこたり無いし研究した結果創畫も作つて居るが、どうもこれでいいと思つた畫なんぞは一年に一枚位か出來ない、勿論一寸としたいいところがあつてもこれを人に見せてこれがおのれの研究して出來た寫生であるなどと美しいばつかり自然の色彩に反してすましてゐる等といふことは嫌いである、おのれはこうも信じてゐる、いまに寫生をやつてもあまり自然の色彩と相違のない色を出して描いて見せる、そうしなくちやあ到底眞に美しい立派な畫は出來ない感のだと信じて居るから、どうもおのれは江西君に申譯が無い次第である、出來たら御返事もするし畫もさしあげることとしてあきらめて載きたい而して見込のない奴だ、畫家となつても藝術界に貢献の出來る人間でないと罵られても結構です、おのれは先輩の意見も聞きおのれ自勇もよく吟味して終日の研究に怠りのないことを告白して置く。
第二、おのれは昨年五月頃より肉筆の水彩畫ハガキの交換をやつて來た、本紙上でも廣告をしてもらつた位、この繪ハガキ交換もつくづくつまらむものだと信じた、やりつばなし筆や眞面目を缺いたもの、荷も本會の會友とでも言はれる人様から、それらのものが舞ひ込んだので且つは驚き平向したのである、平向したと言ふのは返事を上けるのにどんなものを上げていいかたあたふらのである、おのれもこれまでエハガキ等は馬鹿にしたものでやりばなしの不眞面目で押通して來たもの、これが普通の人なら知らず、又唯あつあるといふなら知らず、一體全體繪ハガキ交換は何にするためのものやら、おのれは侮辱された氣持もした怒つても見た馬鹿々々しくなつた、でおのれは人から肉筆のエハガキ交換なんぞと言へば唯人々の面影?をあつめるばかり位に趣味はあるのだろうと推定した、おのれは小さくても畫である、精神のこもつたものを望ましく、何より下手なら下手でいいから眞面目な眞直なのを得たい、何の効能もなく唯集めてやたらに、いいとか悪いとかよく出來てる位にとどまつた肉筆畫のアルバムならおのれは、それは美しい花であるが實のならない花である、と惜しく思ふのである、これまで交換を申込れた諸君のうちでも、おのれの蟲のすくのは依然として交換して居るが、あやしいのは勝手ながら失敬ながら斷つてしまつた、おのれは思ふのに、肉筆エハガキ交換とは、人の描いたものをあつめて多愛もなく見てよろこんで居るばかり、他に何の見るべきものも認めないので、何か知らど疑つても見る、で、おのれは肉筆のエハガキ交換は廢した、と言ふのも多くの人を以て誇りとする様な肉筆エハガキ交換は望まないのである、眞面目であれば結構にもゆかぬが多少なりとも交換を申込れる位なら腕のある人だろうと思つてゐる、そりや下手でもいい、おのれはおのれの言ふことの了解出來る人様は交換を願ひたいのである、よつて永久に交換だとか、親友だとか、と文句の上手なのと二つはおとれはそんな人にはお斷りしたく、かへつて申込れると有難迷惑だと申し置く、これまで交換して來たのは、東京の鹽鳥仁君、京都の松岡君、兵庫の桑田君、和歌山の宮崎君、栃木の江西君等である、以上は畫會友の人々だが他にもある、何卒今後もおのれはおのれの主旨方針が一徹したいもんだと願つて居る。
過日畫會友の人々へ、近縣から、おのれの昨年六月頃から十二月までのスケツチ寫生を六册に自製し、一集十九葉つづ大小綴つて廻送した、それも一部分の人々だが、おのれは回送をうける人々へは、氣に入つたのがみれば進呈するから何かしるしを附して印鑑をおしてくれと言ひふくめて置いたからおのれの謁でも望手があれば結構だと言つて置く。
何はともあれ、昨今は暖くなつた、餅にも倦きたおのれは、今度は何に倦きるやら、畫道の研究は倦怠するころでないと中して置く、美なることは百花の粉亂を破るが如くで、健なることは寒嚴の松柏が立てるが如しと、おのれの達者なことをかさねて申す。
過日の冬休暇二週間は、昨年も遊んだ金屋の奥峠屋へ行つた、それもどうやら猪がとれたかどれなんだとかで、おのれは水彩書四つ切本が二枚、六つ切が二枚、他には鉛筆が一帳と、出來損ひの出來上りが若干とで山を下つて、おのれは、御題に叶つた新年の雪の圖を幾らか得たからとてホクホクしてゐる、おのれの近況はざつと斯かるものである、終りに短歌の數首も浮んだので一しよにつらねて置く。
年一つ迎へたるのみ仰々しまた書初めと筆しづにとる
黒髪のみぢかかるべき乙女子はお下に結ひて年禮にゆく
さまざまの深き思ひをめぐらして歌かるたとる君はかしこし