問に答ふ
『みづゑ』第六十一
明治43年4月3日
■一夜間に於て水彩畫の墓礎たるべき繪畫の研究法ありや二鉛筆畫及びセピア畫の臨本ありや、其價は何程三日曜日のみ師に就いて研究したなら普通見苦しからぬ水彩畫を畫き得べきや(枯村生)◎一墨繪(鉛筆、木炭、一色畫)の稽古は夜問にても出來る、色彩のあるものでも燈火が白色瓦斯なら静物位ひは差支なく畫き得べし、たゞ晝問に比して、徴細なる調子が見えぬ二日本にて出版されしものに適當のものなし、外國製なら大日本繪畫講習會、又は丸善書店にあり、鉛筆畫の分は前號廣告にあり、セピヤ畫の手本は一部金貮圓五十銭と覺ゆ三親切にして確かなる教師の下に絶えず勉張すれば中年以後にても進歩すべし、出來るか出來まいかなど躊躇せずに爲し遂ぐる决心を以てやり給へ■一自然美を論じたる書籍二有職故實の一般を知りたし、又は研究方法三投影法の正確に示せる書籍四ニユーマンとニユートンと繪具は何れがよきや五眞野先生の遠近法出版はいつか(兵庫MY生)◎近來此種の出版なし、自然の一部としてはタトヘバ小島氏の山岳美論の如きものあり二答へがたし三一月號にもある通り專門家は多くニユーマンを用ふれどニユーマンにても發色よろしからぬものあり四檢定濟の出版物は皆正確と見ることを得べし、高等の點迄説きたるものは知らす五着手中。序に、書物の質問には満足の答を致しがたし、本會にそれ等の一切が備へてある譯でもなく、圖書館も近處にはなし、又以前に見たものにても只今手許になきもの等あり、出版所へ一々問合すと申譯にもゆかぬ、御諒察を乞ふ■ワツトマン二ッ切の額緑の價は何程發賣所と共に知りたし(中山魏)◎額緑には種類と階級は極めて多し、普通参圓以上なら出來る、發賣所は芝區新櫻田町磯谷本店、小石川區指ヶ谷百一山本商店、新橋竹川町八咫屋等■一寫眞を見て畫くは害ありや二木炭にて輪廓のみ稻古してもよきや(一汀生)◎害あり、このひまに静物畫でもやり給へ二差支なし■東京在住外國人にて油繪を敎ゆる人ありや(K、B、生)◎知らず■一會友の批評を受くる作品は臨畫にても可なりや二人物の頭髪其他黒色のものの色彩は如何三大阪に於ける信用ある彩料舖の所を知りたし(大隅生)◎一原畫も共に添べられたら差支なし二前號『初學通有の决點』を見られよ三中の島五丁日吉村の店はよからん■美術新報、日本美術、美術學校校友會月報の定價其他(糯畑生)新報は一冊二十銭、東京湯島切通坂上豊報社、日本美術は二十五銭、本郷富士前町日本美術社、月報は非賣品■一ワットマン八ツ切用のマツトの代價及販賣所二外國の畫界に於けるロマンチゴクックラツシック派の巨將及特色を知りたし(未溟生)◎一白ならば二十銭、色紙なら三十銭位ひなれ共、荷造費は(二三十枚迄は同様)四十銭位ひかゝる、發費所は額緑を作る家にあり、前記中山氏への答を見られよ二現今別に判然と窯派を立てゝは居ない、随つて代表的巨匠もない、畫の上のクラシツク派とに格式を尚び、形状輪廓等に重きを置き、壯美を主としたもの、ロツマンチツク派は形の奮確よりも色彩の美を主とし、自由を尚びしもの■一木炭畫に彩色せるものあり如何にして、出來るか二午前八時項東方のキラキラと目眩ゆき空の色は何を用ひてよきや三レナサンスとは何世紀の人にして如何なる功ありや四ローマンチヅク。アカデミツクの意義五夕雲等を寫す時、早くするため輪廓なしにて彩色しても差支なきや六微風の吹出てゐる時如何にして寫せば其感じが出るや七枯木の枝の繁り合ふ處を、一面に塗つて感じを出すことゝしてゐますが、離れて見ると趣が出ない事あり、如何にしてよろしきゃ(廣島愚者)◎一そのやうな繪をまだ見た事が電い、ある一色で(光部を残して彩色するのもよいが、初めから色木炭紙に畫いて光部にホワイトを用ひたらよい、ラツクを吹いて後着色したら汚れることはあるまい、二繪具の色で出さうと思つても出ない、キラキラした處は色でない光の感じである、光の感じを出すには他の部分の彩色で工風せればならぬ、一短文では到底お答は出來ぬ三レネサンスとは文藝復興期といふことで、十五六世紀の伊太利の情態を指す四前項未溟生の答を見られよ、アカデミックとは守舊的形式的を指すものにて、近代的の反對と見ればよからん五輪廓なしで旨く寫し得る伎倆のある人双ら差支なし、その力のない人はそんなムヅカシイ現象は畫かぬともよし六大風なら種々の手段もあらんが、微風などは忠實に寫生して其感を捉るよ頭他に道なし、水面などの微風は現はすこと困難ならざるべし七方法はそれでよし、それで感じの出ないのは技術が幼稚なる爲なり■一スタデーの意味と綴りを知りたし二『みづゑ』の中の寫眞版は一色畫と七て練習して益ありや三紀念號に頒布の繪は圖柄希望して宜敷や(遠洲KS生)◎一稽古といふ程の芝、綴りはStudy二着色畫(自然の景色でも同様)の寫眞はスクリーンをかけて寫せばよけれど、然らざるものに、黄の如き明るき色も暗く感ずべく、自然の濃淡の調子を習ふには寫眞版では不充分なり、但し、墨繪より取りし分は差支なし三何れも有合せの繪につき、丁度御希望に副ふものがあればよし、然らざれば別に畫いて差上るといふ事は出來ぬ
■一コマ繪は漫畫なりや二無色といふも、のありや三自と黒は色でないといへば、洋畫にて繪具の自と黒は用ひぬものにや四名畫の寫眞を墨繪にて摸寫する利害五坂本繁次郎氏の繪畫は何といふか六世界美術史の初學に適當なるもの七石井柏亭氏と満吉氏は同一、人なりや(津川生)◎一コマ繪とは雑誌の餘白に埋草として用ひ、又は紙面の變化を與ふるために挿入せる繪を指せしもので敢て漫畫と限らぬ二何色でも、たゞ一色のみにて對比すぺきものゝ無さ時はこれを無色と云ひ得べし、大洋の水面、晴れたる空、闇夜の如き三白と黒といふ繪具もある以上色でないとは云へまい、たゞ眞の白とか黒とかいふものは、普通の人の思ふ處と畫家の考と違ふといふ丈けなり。すべて、色は其飽和度(飽和とは其色がいくら濃くしてもそれよりも色が出ないといふ點、即ち黄ならそれ以上黄色にならぬといふ一パイの力)を以て標準とすべきもので、其飽和度に達する迄幾千幾百の階級あり、普通人は其階級を無視して、単に鼠を指しても白なりといひ、時には黒なりといふなり四前にKS生の答あり、何れしてもあまり利益なし五編者は、見た事がないからお答が出來ぬ六博文館發行世界美術更あれど譯文晦澁なり、和文にては他になし七同人なり■端書表に筆で「郵便ハガキ」と書きて使用し得るや(一讃者)◎規則では印刷することになつてゐるが默許されてゐる様なり