寄書 ぐうたら兵衛の論
津川清平
『みづゑ』第六十二
明治43年5月3日
「天狗になつてはいけぬ」と聞いては、自分の氣に食はぬ繪もほめて置き、「自信がなければならぬ」と言にれては、佳作の繪もけなしたくなる人は、矢張り自信が無いからだ。さう言ふ自分も其の一人かも知れぬ。
スタデーは緻密に畫くほど興味があり、スケッチは思ひ切つて主観を出すのに興味がある。各々出來たものは反封だが、自然の感想を畫き出すといふことには變りは無い。然し展覽會等で繪を見ると、繪畫にはもう少し他に目的があるやうに思ふ。
「考へ無しに畫いた繪は必ず失敗する」といふことは幾度も聞いた。聞いて居ながらつい忘れて、美しい景でも有るとすぐ畫きたくなる。さうして早く自然通りの色を出さうとすろ。爲めに繪具の水も干かぬ裡に次の色をなすくりつける。或はぼかす。從つて紙面を害しむらが出來繪具の光澤を失ふ。こんな失敗は度々やつたことだ。
他人の作を摸模して得るところがあるやうになるのは、自分で苦心した後だ。始めから摸寫して繪を作る法などを知らうとしてもだめだつた。只其の人の不用な癖なんかゞ附いたゞけである。それよりも、飽くまで見て頭の中に位置や調子や色彩を憶えて置く方が良いやうに思はれる。摸寫は熱心にやるものぢやあない樣だ。ために其の繪の印象を忘れても自然得るところがある。それが眞の得るところだと思ふ。何にしても大家の繪を見て、始めから複雑な繪を畫かうとしても畫けるものではない先生方の言はれるやうに、墨繪の静物から始めて、自分で苦心せねば、吾々凡人はさう安々と佳い繪は造れない。
先日大阪の三越洋畫展覽會へ行つて見た。石川先生の「桃の節句」の前には何時も人が寄つて居た。小學生が「内へ歸つてあんな繪を畫きに行かう」と力むで居た。展覽會が美術趣味を普及するのも無理は無いと思つた。満谷先生の「縁陰」を「薄つぺらだ」と言つた人がある。「ちぎれ雲」中川先生作を「夕日を受けた雲が實に佳い」、といふ人があれば「砂漠の樣だ」と咳く人もある。「こんな繪を見るとかへつて害になる、と無闇に缺點も言はずにえらばる人もあつた。大下先生の「榛名湖」を見て、湖上の光線を。「黄粉がまいてある」と冷評した男があつたので、いまいましく思つて「水の色などあ特別佳い」、と咳いてやつた。先生の御作では「後園」が一番佳作だと思つた。スケッチブックにわざわざ摸寫して居る人があるので、覗いて見たら小さい門や木が日本畫流に見取圖の樣に畫いてあつた。
此の展覽會で驚いたのは、一年前の時より、思ひ切つて強い色の水彩畫が多かつた事だ。中には佳いものもあつたが、自分等の目には見えぬやうな、極端な色を使つて畫いた繪も多かつたそんなのを見ると、其の人が強ひて使つたのかとも思はれ、或は自分の觀察力が足らぬのかと思はれる。日本畫の樣に、色の淋しいのも時に見受けたが、自分は「高原の秋」(一二九)、や「須磨の浦」(七四)、の樣な色彩の繪が好きだ。總て色彩の佳い繪で失敗するのは、矢張り色彩の樣だ。否、そんな繪が多い樣に見受げた。なんとか知つた顔のぐうたら兵衛を列べるのは實は知つて居ないのかも知れない。