寄書 余が野外寫生の端緒と所感
金森宗造
『みづゑ』第六十二
明治43年5月3日
余が書生時代、丁度『みづゑ』第一號發行當時には、醫學の研究中であつた所が、醫學の解剖圖などを見ると、水彩畫の原色版で美しいのがやつてあるので、一つ摸寫して見んものと、十二色入七八十錢の學生用の畫具箱を求めて、畫いて見ると、便利なる記憶法であつたから、必要のものだけ模寫して、勉學の資とした。後皮膚病學敎室へでも行くと、病者の皮膚の状態色彩等の工合を記憶するの必要上、實物寫生の必要を感じて、ちよいちよい室内の寫生をする中に、繪畫に於ける趣味を覚へ、野外寫生の端緒を得た。
さて、野外に出て寫生して見ると、室内とは異りて、閉口したのは色彩なり陰影なりが時々變化すると、木の葉や幹の皮の龜裂迄一々書き現はすに如何にしてよきや、又近景の草木などの細部分が、眼に映じて大體の趣を現はすことか出來ぬのであつた。玄で『水彩畫栞』『みづゑ』等を見て研究しつゝあつた後、本業を此山間に營み傍ら爽快なる春の琵琶湖の風光に接し或は深山の風雪を寫して自然の趣を悟つた、以來余は自然を友とし師とし、傍ら『みづゑ』を指導者として愛讀してゐる。