讀者の領分
『みづゑ』第六十二
明治43年5月3日
■來る七月の紀念號には水彩畫の募集でもなさる御計畫はありませんか、皆さん御願ひ申して見ませう 關西の山水は大いに大家先生達に不平を言つてゐる、少しに同情をかけてやつて下さい。石見の斷魚溪九州の耶馬湲其他勝地は多いと思ひます(藤朗)■淺虫温泉場は青森市を去る東方へ三里、風光頗る佳絶、春は汐干狩、夏は海水浴、湯上りの熟い顔を汐風に吹かせながら山の公園に上りてまさに沈まんとする海上の夕日を眺むるは大愉快、秋は紅葉、激浪を賞すべく、冬は岩上のオルトラマリン色の雪の曉も一興なるべし(靑森未溟生)■諸君、吾が廣島市内に一つだに繪畫研究所のなきは慷慨の至りである、諸君一つ開設の方法を取つては如何(廣島市外横川神田周三)■四月號の『みづゑ』を見ました、原色版木版石版一として惡いものはありません、圖按法は非常に僕に利益した、三脚物語は例の如く面白く感じました。最後に三平山人の言はあまり失敬ではないかと思ひます、僕は斷言する五十九號のすべては決してまづくはない(京橋、太田曉天)■『みづゑ』石版のうち圖按畫は結搆なれど水彩スケッチは申譯的のものばかりて不感服費用の點から立派なものが入れられないとなら五十八號のやうな寫眞版になされたし又なるべく黑繪木版等一枚位ひは挿入されたし(吉成生)■前號の『みづゑ』三脚物語中にもあつたが、私等も始めは三本脚を開くのにマゴついた一人、右の腕をやられるのは心細い、泥マミレの脚云々で、國の川邊にスケッチして居た時魚釣りの新マイが足を辷らして、側に居る人に引き上げて貰つたことを思ひ出した、これは歡聲どころではないが(清平)■私の一番面白く思ふ三脚物語は飽かずに御掲載を乞ふ、石川先生の洒脱な御講義が出ないと物足らぬ、近來丸山先生は如何いたしたのですかちと奇拔な御論を拜聴したい、夫から古いことながら大下先生の『靜物寫生の話』も中絶、戸張先生の構圖法もあれぎりでせうか(浪華浪客)◎『靜物寫生の話』は一段落になつてゐますが近日續稿の一色畫を講じます『構圖法』はいづれ出ます■石見飯田君の廻覽畫帳の件大賛成、同好者の多少を論ぜす斯界の爲め早く實行したまへ○『みづゑ』春鳥畫談は有益繪日記も僕には嬉しい(大阪東區南農人町二ノ五七大隅直造)■神戸の津川君、久住君、三重の駒田君、福島の遠藤君、愛知の柴田君、三河の石川君安房の白井君へ申す、吾人は敢て數の多きを望まず、少數にても熟心なる士を喜ぶ技術に於ても苦心の作を喜ぶ御賛成ならば左の規定によつて申込まれたし一、畫は寫生を尚び風景、靜物、人物等隨意一、畫面の大さはワットマン十六切大(發起者に於て注意して取扱ふべし一、畫題を定むべきや否、これは追て一、〆切五月十五日(島根縣美濃郡都茂村飯田紫朗)■同好の女性諸姉と肉筆水彩ハガキの交換をいたしたし拙なれど御返事は必ずいたします(信濃上田鍛冶町山浦多賀)■『みづゑ』三十二より六十迄(但四十三、四十四を除く)汚れ目なきもの一冊十錢宛にて譲る、油繪携帯箱、三號畫架等と交換してもよろし(福岡縣遠賀郡香月村田代哲郎)■圖畫速寫法あり『みづ志』三十二、三十三と交換を乞ふ、又は何れかの一部にてもよろし(新潟市船場町二丁目關孝亭)■中古のスケッチ箱相當の代價にて譲受たし(府下八王子大横六七平塚)■市内の初歩の人で僕と自筆繪葉書を交換してくれる人はありまぜんか(東京趨町一番町四六、若山隆)■ミレー油繪スケッチ箱(元價三圓)新物同樣大減價壹圓にて譲りたし(茨城縣結城郡菅野村坂野伊三郎)■『みづゑ』四月號を僕が出すから同四十六號と交換したし○肉筆繪葉書交換希望必ず返葉(長野縣上田町原町三丁目關正造)■諸君のうち御不用の『みづゑ』あらば安價に御讓り下さい、又は眞面目な自筆水彩と御交換を願ひます○飯田君御發起の廻覽畫帳の件は賛成(廣島市外横川神田周三)■五月號へ御掲載を願ひし小生發起廻覽帖の件一先御撤回下され度候(飯田紫朗)