寄居行

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第六十三
明治43年6月3日

 尖端大小不同の空氣抜ある黒のメリケン帽、ごつごつの羽織に尻からけ、大枚壹圓七十五銭を憤發せしとく黒羅紗の短靴、油繪の箱を千社參りのそれの如く胸前に垂れ、背には傘枝三脚など入れし、繍した雜巾を綴合したやうな白綛の袋を負ひ、洋傘片手にスックと立てる童顔白髪の翁は、當年七十六歳のS老人、畫の辨當包みし毛糸の網の紅なるは愛らし。
 老人と並んでは、孫とも見るべき痩身の美少年?藍色のハンチングキヤップ、白の首巻、綛の羽織、縞の袴に脚胖紺足袋、朴歯の下駄の音高く、箱に需板に雑嚢に、韓々と均につけて『そぢやないんです』を連發しつゝあるはM君。
 ハイカラの束髪、リボンなどは態とつけず、縞の羽織に揃ひの袷、焦茶色の袴に爪先の細い靴、右の肩には寫生箱、左の手には四つ切の板をかゝへて、あとに從ふはH嬢。
 吾輩の服装は、白晝東京市内を活歩するか難しとする程度と想察されたし。
 一行四人、五月三日の朝八時、両毛行列車の發するを待ち、上野停車場に在て構内衆人の視線を集む。
 二
 沿道の新緑濃やかに、杳かに遠く、さしてゆく秩父連峯を車窓の左に見る。川口の橋上、洋々たる水に臨みでは、やがて三時間の後には、此川の上流に到るべきを思ひ、そのあたり、緑の色のなほ淺からんことを心に祈りつ。
 熊谷にて車を換ふ。この日嚴冬のそれの如く、日の光弱く、寒さ骨を刺す。年少のM君。懐爐を抱いて猶日南を戀ふ。窓を叩く北風の音淋しく、車中の甲乙顔色蒼白。
 『アノ野郎太い野郎で、熊谷へ徃つチヤア、お客の預ける荷物を横取りしチヤア、東京で金にしチヤア宅へ歸つチヤア俺れは鐵道の荷物受負だナンテ吐いチヤア、贅澤しチヤア居たゞが、とうとうコノ間フン捕まつちやつたア』チヤアチヤアと語る一旅客の談話に、一行思はず笑をもらす。
 牛よりは早けれど、馬よりは遲かるべく思はるゝ上武鐵道、沿線の眺めに何の奇もなく、停車場四つ、五つ目に目指す寄居の驛に着く。
 町人の目を峙つる中を、ゾロリゾロリと突當つて右へ半町、旅舎山崎屋に入る。折柄の大掃除なり、最奥十三番の一室、その前の縁に腰を下して書の辨當を開く、軒に風鈴あり、長方形のガラス相觸れて風に卑しき調べをなす。
 三
 町を一直線に北に向ひ、右に下れば下の渡場に出づ。廣き河原あり、橋あり、對岸緑の森あり、船水車あり、南の方上流に向へば、大霧山霞みて、鉢形城趾を中景に、前には形面白き巖あり、下流連續せる絶壁の不に、同じく數艘の船水車あり、全景青梅附近多摩川のそれに似てやゝ廣く、且變化多きものゝ如し。S翁、まつ礫敷ける河原の眞中に座して箱を開く、水車、巖石、両岸の樹林、遠山、青空、荒川の流域、方一尺のスケッチ板のうちに藏まる。M君もその近處に畫架をすえる。吾輩は溜り水を越えて、狭い石の上に店を開く。狹しと雖も毫も危険なければ、三脚君の苦情はあらざるべし。H嬢は岸に踞して船水車を寫す。
 河原には絶えずに風吹けども寒からず、寒からざれと風は次第に強くなれり、忽ちにして背後に異様の音あり、顧れば黒色の怪物、突如として吾輩の身にせまり來る。何もの!捕へんとするも能はず、急轉又急轉、終に水中に入りてやむ、M君拾ひ上げて苦笑一番、『とうとう骨を折つちやつたア』
  四
 早く仕舞ひて景色を見つゝ歸る。川に沿ふて崖上の細徑を辿れば、緑樹白石相交はりて好景到る處にあり、中の渡しといふなる橋を越ゆれは、鉢形城趾の絶壁にして、巖黯く水蒼く、やゝもの凄し。
 山崎屋は古くして美しからぬ家なり。室には書院窓あり、床には白き燕子花を活けたり、朝鮮人某氏の書一幅、柱の繪ハガキ挿に東都美人の寫眞あり、次の間を仕切る襖には怪しげなる墨繪の山水あり、汽車の時間表、旅籠料の規定も貼られたり、床の間の隅には、啖吐三つ、巻煙草の灰落し二つ、大きな鷹の羽の紋を畫ける、古い一閑貼も置かれたり。
 臓ないけれど湯に入る。ヒツリと來る向ふづけに閉口しながらも食事を濟ます。九時床中の人となりて二三の蚤子と闘ふ。
 五
 四時一同目さむ。M君手數のかゝる首の仕末に忙はし。直ちにうち連れて河原にゆく。曉色殊によく、風膚に快し、美はしく清き河鹿の聲に促されて、いまし夢よりさめんとする、風情ある景色に封して、筆をとる事一時間あまり、各半成の畫を携えて宿に歸る。
 宿には朝飯の用意あり。團飯三つ、梅干二つ、澤庵四片、これが畫の料なりといふ。三子各々其一包をとつて去る。吾輩獨り鉢形の淵に向ひ、沙上に三脚を裾えで巨巖を寫す、山つゝじ盛りに、紅花點々水に映じて美はし。
 午後、下の渡しにゆきて石を寫す。M嬢なほ水車を模しつゝあり。今日、S老傘を飛はすこと、昨日のM君の如く、しかもそを逐ひて、終に苦滑らかなる淺水のうちに倒れしといふ。二度あることは三度といふ、吾輩H嬢と共に、傘に對する警戒嚴なり。簿暮相會して宿に歸る。この夜臥床に入つて後、M君枕頭カサカサの聲頻りになり、就て問へば、お目ざにあらでお夜伽の御菓子を召されしなりと、坊ちやんは罪がなくて愛らしきものなり。
 六
 五日。昨日より早く起きて河原にゆく。空曇りて感じの相違甚しく、不得止他の場處を爲す。午前鉢形の繪を仕上げ、午後中の渡を越えて城趾に入り、大霧山を爲す。M老獨り寄居の名所象ケ鼻に向ひ、M君H嬢共に下の渡し高麗藏別荘地にゆき、午後城趾に於て吾輩と會することを約せり。
 暑き日なり、新樹の下に在つて筆を走らす時、遙かに人聲をきく、起つて澤邊に出れば、一條の深谿を隔てゝ丘上二子の姿を見る。
 谿に下るの細徑極めて急、H嬢大に艱む、靴はたりて踏止まることかたく、走り下つて巖を抱く。M君白き手拭の頬冠り、雑多な道具を肩にしてこれに從ふ。断崖の上に立ちて、こなたより眺むれば、亭々たる杉叢の中を、見えては陰れ隠れては現はるゝ其光景、恰も活動寫眞にて劇を看るが如し。
 同じ處にて銘々スケッチ一枚を得、上の渡を過ぎて宿へ歸れは、『御老人は油が切れたので十二時の汽車で御歸りになりました』と女中は言ふ。此女中其名を知らず、同人よんでカイロといふ、盖し其姿勢より得たる尊稱なること勿論なり。
 M君頻りに繪葉書をかく、カイロ席を去らず、一枚戴きたいとせがむ、M君曰く、『僕がいまに大家になつて此處へ來た時に畫いてやる』と、カイロ傲然として曰く、『そんなにいつ迄も宿屋の飯盛はしてゐません』
 女中、他の一人をお市さんといふ。どことなく櫟たいやな、ニコニコした女なり。茶碗に溢るる程飯を盛ること頗る得意。
 八
 例によつて、五時前既に河原に在り。畫架を立つると同時に、雨脚黙々、水面の影を亂し、圓輪また圓輸、相觸れ相重なつて、終には光澤なき銀の色に變れり。來たばかりでオメオメ歸るも厭なり、傘持たねば何處かの木の下をと、漸くもとめ得しは危ふ斗、崖上、杉木立の根元にして、爰に水平線高き一枚のスケッチを得たり。
 唯一本の洋傘は、M君の手よりH嬢に渡されて、野郎共は雨中ひた走りに宿へ歸る。やかで雨も歇み、雲散し、薄暑を覺ゆる日和になれり。吾輩は崖の上を、二子は對岸へと秋を分つ。
 別ちし袂――洋服に袂はないが――は午後より再び合して、下流の岸に暗き水を寫す。廣き河原の半ばは緑草に蔽はれ、牧牛三四、水に臨みて遊べるなど、外國の繪にょく見る圖なり。
 M君頻りに暑いといふ吾輩輩も暑い、H嬢も同感、併しM君の暑いのは単に氣候の故のみにはあらで、君の腹郡にある懐爐の、今や火の手の極めて熾んなるによるなり。
 高麗藏の別荘地は、川に面せる高き處にあり。狭き地城に縄張して、無用の者入るべからずの制札を建っ、建物なく遊園整はず、番人の男極めて頑にM君H嬢繪を畫くといふにより、僅に許されて搆内に入ることを得たり、『この前美術學校の連中が來た、ワルク威張りやがるから一人も入れなかつた』、『この近處の奴に碌な人間は無い』、『毎日々々石を破るのに、大きな音をさせやがつて癪に障る』、如斯悪聲は絶えず當人の口より迸る、曾て村童の二一二、縄張内に入りたりとて、警察へ迄蓮れゆきし事ありといふ、從つて村人の此番人を憎むことも少々にあらずときく。
 九
 宿に歸り、湯に入り、膳に向ひ、一二本の葉書をかくと既に八時を過ぐ。カイロ來つて『お床は如何』といふ、『まだ早い』、間もなく又『お床はお早ございませうか』、『後にして下さい』、程もあらせず『モーお床にいたしませうか』、『うるさい!オトコオトコとオンナの癖に』と、叱して僅かに新聞の重要記事をよむ、夜々如斯。
 今や漢學の流行に連れて、偏僻寄居の如きに在つても、不思儀なる漢語をきく。一客浴槽にあり、外なるもの問ふて曰く『お湯の結果はどうです』
 十
 七日、早朝河原の仕事を濟ませ、朝餐後、徒歩波久禮に向ふ。
 無趣味なる桑畑、十町にして象ヶ鼻の名所に到る、巖上松樹多きに過ぎ、四方の風物また何の奇なく、俗人は喜ぶべし、三脚を煩はす價値を認めず。
 更に十丁にして末野の村あり、鎭守の森、形面白し、壯丹躑躅の美はしく咲ける庭もあり、猶更に十丁にして、上武鐵道現在の終點波久禮に達すぺし。
 停車場前を、左の細道を下れは、二三丁にして荒川に出づ。道は岩石に天然の階段あるもの、三丈五丈の大石、洞を爽みて立てる其の光景、盖し壯觀の辭を呈可るに足らん。
 金尾に通する渡舟あり、クリ船といふ。網を繰りて人を渡す。對岸自髭社の森、欝として繁り、境地寄居に比して遙かに幽、たゞ地狹くして畫材乏しきを憾みとす。
 M君川下の河原に巖を畫き、H嬢巨岩に椅りて水を寫す。吾輩嬢に隣りて石のスタデーを寫す。岩より反射する暖かき空氣に、居ながらにして屡々流汗を拭ふ。嬢は姫御前のあられもなく、終に靴を脱き、足を水にして快をよぶに至る。
 渇せる咽喉を一個の林檎に潤ふし、舟によりて對岸白髭の森に到る。巨樹林立、清涼久しく居るに耐えず。再び川を渡り、水車のスケッチを試み、四時の列車に投じて寄居に歸る。
 十一
 朝の寫生も今朝が名残なりと、八日には更に早起して河原に向ふ。次に下の橋を渡りて、鉢形の村を過ぎ、険崖を下リ、荒川東岸に出れば、下流に堰あるため、大河の水静かにして、山影樹形鏡の如く映じ、恰も湖水に對するが如し。
 時に正午、約あれは半ばにして筆を措き、村道にH嬢をたつね一茶店に團板の包を開く、小なる髷を戴ける赭顔の老爺、澁茶をくみ、油揚の煮付か皿に盛り來る。オゝ油揚、山崎屋に於て、朝に夕に必す膳部に上るもの、お市さんに寄居の名物は何かと問へば、存じませんといへど、此油場こそは慥かに名物に相違あるまじ。
 十二
 四時の汽車にて寄居を出發す。カイロ君停車揚迄荷物を運び來る。好意多謝、七時上野着。初夏の日光に晒さるゝこと六日、雪の如く白かりし同行の顔や手や、今は漆の如く黒く變りて、家人の一驚を買はんとすなり。H嬢の如き、試みにリングを脱すれば、恰も白絲を懸きたるが如く、指根鮮やかに一線を劃せるを見る。

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