報告
『みづゑ』第六十三
明治43年6月3日
高槻町闡幽會は、明治四十一年十一月小生等發起となり、高槻尋常小學校職員中の有志者數名と相計り組立てたる畫團にして、始めは微々たるものに候ひしが、四十二年一月、同町島上高等小學校職員數名の加入あり、其後漸々地方同好者續加し、現在普通會員二十二名賛助會員六名総員二十八名に達し、創設年餘の淺時日なるにかゝはらず、會員の熱心なる研究と鞅掌努力とにより、一意練磨の功漸く顯はれ、技量大に進歩し基礎亦鞏固となり、今後入會者も増加すべく、將來大に發展しあまちゆあ會として、京阪間に於ける忠實なる自然愛好の團結たらむことを希望致居候。例會は會則の規定に随ひ、第一第三の午後二時より始め日没に閉會、静物七分郊外寫生三分位割合に候。
時には日曜を利用し、臨時寫生會茶話會競技會等を催し、會員各自の作品を互評し、美術上の知識を交換し、研究の結果自然より與へられたる秘密及自己獨創の新案を公表し、自然のひすばあを開くべき、各自異りたる銭を捜索すべき、理論的研究に日の暮るゝを忘るゝ程、熱心に幸福なるぱーみりをんの如き温かきぐつとでーは、屡次吾々の所有寸る所に御座候。會員中最も熱心なるは和久晩紅園、金原醉顔、石部夢天、中西丈之助、境田天畔等の諸氏に有之候。追て本會の模様は今後時々報導いたすべく、此度は其一般をかゝげ擱筆仕候、會則一葉及別匹最近の本會例會寫眞一葉御送附中上候。
高槻TN生
關西支部第一回例會
去る一月三十一日發會式を擧げたる日本水彩畫會關西支部は豫定の如く去る二月第三日曜日第一回例會を京都柳池尋常校樓上に開けり。正午過ぎより續々來會、二時に至りて會員拾六名を藪ふ、當日は鹿子木、都鳥兩先生の來會を乞ふ筈なりしも都合により中止し會員の作品大小六十五點を展覧し大に互評を試む。後茶話會に移り談笑數時薄暮散會せり。
附記、侮★支部三月例會當日は伏見地方へ寫生會を催せしを以て之を欠げり。(エフ生報)
日本水彩書會の出品者
本年太平洋畫會展覧會に於ける出品者中、日本水彩畫會研究所に屬する人は、望月省三、篠原新三、尾崎定次、相田寅彦、船樹忠三郎、岡田武彦、奥村博、嵜田季一、榎本滋、八木定祐、吉崎勝、矢田文吉、松山忠三、瀧澤静雄、赤城泰舒、吉田豊、夏目七策、鈴本一治、竹内久子、水野以文並に横演支部の田中太郎吉氏等にして、出品數は七十點なりし