寄書 地方研究の方へ

むらさき
『みづゑ』第六十三
明治43年6月3日

 斯う出ると、何だか佛蘭西からでも仕上けて來た大家の口振の様に聞えるが、そーでない、云はば僕の失敗談である。そしてここに云ふ地方研究者の意味は、斯道の大家について居られる日本水彩畫會の會友諸氏や、地方聴講生の諸君、それから現に艮師の下に樂しく繪畫を學んで居られる諸彦を指したので無い事を思つてもらひ度い。ここで云ふのは、繪らしい繪や肉筆の水彩畫に接し得る機會を持たない、不幸な位置にある諸君の事である。
 『洋畫全盛の今日そんな野暮は』と云はれたらそれ迄だが、換言すれば僕の失敗談、僕一箇の愚論として聞いて貰ひ度い。或は僕と同様な位置にあつて、完全な羅針盤を得ず、東漂西泊惜しむべき勞力をあらぬ方向に向つて注いで居られる諸君はありはすまいか。僕は僕の失敗を思ふ毎に先づ斯う思つて、斯かる諸君に御同情、いや老婆心を起して見るのだ。僕!僕は無論初學者だ、絵畫の楷梯に一歩も足をかけたとは云はれぬ、ただのアマチユア、いやさ自然兒だ。それが一度某美術展覧會を素通りして、いささか感じもし悟つたところもあるので、前述のやうな不幸な諸君に、諸君が隔り易き點、誤り易き方向について御相談申し上けやうと思ふ。前にも云ふ通り、僕一箇の失敗や、僕方の地方の研究者の作品から割出した論ゆゑ、其つもりで聞いてもらひ度い。
 第一に田舎の研究者は、単なるスケッチと、製作、即ち立派に仕上げた作とを混同して居はせぬか。田舎にあつて拙劣な(筆者のそれを指すのでない)廉價雑誌の石版畫(余は此點に於て我『みづゑ』を敬賞してやまず)、朦朧たる寫眞綱目版、筆者疑はしき似而非水彩繪端書等に見なれたる目は、勢ひ斯うなり易い。そして無理もないが、僕は現に失敗者の一人であつた。往年東都にあつて、初めて肉筆彩畫に接した際に始めて悟つた。
 僕の地方に居た頃には、全くスケッチと製作とを混同して居て、畫面大なる水彩畫は、其描法も矢張單なるスケッチを引のばしたようにすればよいのだとばかり信じて居た。然るに、肉筆彩畫に接すると同時に、我誤つたる信念は氷のように清えて行つた。大なる畫面には、それに應分の驚くべき程こまかな観察によつて、自然にまぎれる程に畫き上げてある事がわかつた。そして繪畫の仕事の容易でない事を思はせたのである。こんな事の分らぬ田舎の連中には、畫の下塗を不充分にしてそれで甘んじて居る者が少なくない。そして色が如何にも貧弱で繪がみんな薄ぺらに出來あがつて、苦心の程も見えなければ重味も見えない様になるのだ。此點よりして考へる時は、諸君の時に行はれる摸寫は、美しい石版畫よりも、彼原色版に限つてもらひ度い。下手な石版は、色のないアートタイプにも劣る様だ、描法の研究には地方にあつては原色版が一番よろしい様に思ふ。
 次に田舎の人の畫には深みがない。これは前述の理由からも來るであろーけれども、空氣のないのが第一の理由であろー。どの繪を見てもみんな空氣のない世界に出來た物體のやうだ。これは大なる欠點と思ふ。そしてうるほひもなく濁つて居て乾燥して居る。うるほひの事は僕が博覧會場に入るとすぐ僕の頭腦にこたへた。最もグラスがかかつて居たけれど、なかつたにしても、うるほひのないのは田舎の人の作にあらそはれぬ欠點である。空氣が無いために、田舎の研究者の作には平板な至つてはつきりと遠景の描き出だされたのが多い。余の在京中、白馬會の某氏は、風景畫の遠景中景は皆多量のコバルトでなつて居ると云はれた。これは少し極端に亘る論かも知れぬが、此心持で筆をとつたなら、大なる間違はないと思ふ。そして空氣を描出するには、先づ空氣の存在を畫面上に有形的に認めねばならぬ。それには物體の地の色を見ることをやめぬばならぬ。地の色を見ずに、ぢつと自然を見ゆる通りに目に浮べて見給へ。緑の木の葉も遠くにあれば時に緑に見えぬ。僕も以前はよく斯う云ふ疑問が大家の作を見る度に起りよつた。『斯んな紫色が自然のどこにあらはれて居るか』の問題だ。併しそれが自然を眞面目に研究して居ない人、それから畫をかかぬ素人にわからないところなのだ。そのわからないところを、うんと看取つて、美しく描き出して、凡俗どもに成程と合點させるのが美術家の仕事だと思ふ。
 次に、田舎研究者の風景の見方は餘りに廣くはないかとの疑問がある。從つて構圖がまとまつて居らぬ。形の小部分に目がつき過ぎて、却つて筆がいぢけては居ないか。博覽會へ行つて見ると、名だたる大家連中にさへ、簡短な(素人が見て〉畫面に重みある仕事がしてある。僕等は、況んや初學者である、充分簡短な景物で、そして其色をよく観察し豊富にのせて行って、一かたまり一かたまりと要點を見のがす事無く描いて行つたら、小なる畫面にも仕事は充分にあるだらうと思ふ。部分的研究は飽くまでも必要と思ふ。田舎の人は部分的研究を等閑にして、一里も二里もあると云ふ大風景をゑて、描きたがる風がある、そして形も大低にして色を速く塗りたがる。こはは大なる通弊ではないか。寫生は其物體の高さ二倍以上をはなれて居ればもう出來るそうだ、然るに畫面の底線が自個の位置よりも五町十町、もしくはづつとはなれた畫をよく見うける。又好んで好風景の畫を描きたがる。これは地方に居てまとまりた畫の描出してある雜誌口繪に目なれたる諸君には無理もない。曾て大下先生がおつしやつた『寫生はよい風景でなくてもよい』御尤もな御言葉と思ふ。僕は此御一言を又とない御敎訓と思つて常に忘れた事はない。
 大下先生は、其時に田舎で繪畫の獨習をやると筆癖が出來るとおつしやつた。これも御尤もな御説と思つた。そして僕の畫について少なからず思ひ當る事があつた。水彩畫に直線は禁物とは、紀州の長谷川さんが何時か云はれたと思ふが、その線なるものが田舎研究者の作に多い様だ。これは一つの癖ではあるまいか。これは長谷川さんの云つた通、陰陽の關係で直線と見せかけるがよいと思ふ。それから、無意味なポツポツの點が多くあらはれ易い。此癖がつくと、畫に苦心をこらされぬ。家根うらの深いかげ、障子の透間等、只一筋の直線で描き度くなる。
 僕等は此癖を蒙つた一人である、無論畫者其人に罪なくして、觀者其者に罪ありと思ふ。諸君の内に三宅先生のスケッチ口繪中にある、線状のタッチが邪魔をして居る人はありませんか。
 そして描法は、初學者には彼是云はないにしても、色は塗ると云ふ感を以て描くよりも、色で埋めて行く、のせて行く感を以てかきたい。塗る感じでかくと色が濁る、筆がしぶる、ややともすると、日本畫のボカシと同じやうな物となる。そして色の重なつたのが見えにくい。
 次に、田舎の人の書は小膽だ。よくスケッチブックなど見せられるが、鉛筆が弱く使つてある。いかにも勿體相に紙を惜し相に使って居る。あれはいけないと思ふ。思ひ切つて大膽な描線で書き度いものだ。此事で一寸考へ浮んだが、繪畫はあまり六つか敷規則を畫論で縛られると面白いものが出來ぬと思ふ。これは繪を學ぷ人の作品に徴して見ても了解せられる。段々と畫いて行くにつれて、技術描寫の上達はあるかも知れぬが、最初に作つた畫がどうも大膽でもあり光彩もあるやうに見える、そうして其人の特色も遺憾なく發輝してあると思ふ。(これは僕一箇の論かも知れません)
 そして、最後に一寸云つて置き度い事は、田舎の研究者だと思つて、餘りに馬鹿にならぬ事である。何事も自重が大切だ。僕はおそく發表するけれと、全く石川先生と同一の考を有して居たのだ。東都のやうな都會にあつて、朝夕斯道の名家について其指導をうけ、幾多の美術製作品を目にほしいまゝにして、樂に修業するのは勿論よい事だ。東都遊學を絶對に反對するのではないが、都會にあつては、清新な空氣に餘り多く接する機會を得ない。旅行でもすれば、自然の美容に接する事も出來やうが、そう毎々出來るものではない。煤烟で汚れた都會の空氣、瓦屋根、砂塵にまみれた緑、浮華に傾いた道路よりも、諸君の接しつゝある自然はより清く新しい。都會に出て見ると、故山の山なり水なりがむやみに懐しくなるものだ。あそこの森をも一度研究的に描いて見度いとか、ここの流をも少し苦心して寫生したいとか、いやに故山の山水が戀しくなる。僕など大いに経験がある。諸君!諸君は或方面から云ふと確に幸福の位置にあると思つてよい。自重して大いに研究すべしだ。髪を長くした美術書生、いやに氣どつた畫學生は東都にはゴロゴロとして居る。其大部分は眞面目に勉勵して居ようけれど、寒心に堪えないものも亦少なくない。諸君!此虚を突いて忠實に自然に學ぴませう。自然は平等だ、公平だ、些の猜疑も野心もない、そしてよく自然で磨いた腕前は、又却つてすばらしいものがあると思ふ。僕の愚論はこれでおしまいだ。失敬な云分も多少あつたかも知れぬが許してもらひたい。
 論旨もよい文章も分り易い(編者)

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